安徽
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「安徽」登場回数
合計: 18回「安徽」が登場する場面
7件剣と戟と楯
その対策について、相議する時、孔明は明確に、方針を説いた。「魏が膨脹を欲するのは、たとえば伸びる生物の意欲みたいなものですから、その意欲をほかへ向けかえて、ほかへ伸展し、ほかへその精気をそそがしめれば、即ち当分のうちは、蜀は無事を保ち得ましょう。そのあいだに国防を充実することです」と、前提してから、「それには今、能弁な士を呉へ使いに立てて、先に約した荊州三郡を、確実に呉へ返し、かつ、時局の険悪と、利害を説き、孫権をして、合淝の城(安徽省・合肥)を攻めさせるのです。――ここは魏にとって重要な...
吟嘯浪士
浪士は気軽であった。 城中へ来てみると、小城ながら新野の城主と分って、気軽な彼もやや意外な顔をしていたが、玄徳は上賓の礼をもって、これを迎え、酒をすすめながら、さて名をたずねた。「拙者は、潁上(安徽省・潁上)の単福と申し、いささか道を問い、兵法を学び、諸国を遊歴している一介の浪人にすぎません」 。 単福は、それ以上、素姓も語らず、たちまち話題を一転して、こう求めた。「さいぜん、あなたの乗っていた馬をもう一度、庭上へ曳きだして、拙者に見せて下さいませんか」 。
大江の魚
どうしてここへ来たか」 。 なつかし気に孫策も馬を下りて、手を握り合った。 彼は盧江(安徽省)の生れで、周瑜字を公瑾といい、孫策とは少年時代からの竹馬の友だったが、その快挙を聞いて、共に助けんと、ここまで急いで来たのだと語った。「持つべきものは友だ。よく来てくれた。
孫権立つ
「周瑜。その魯粛とやらは一体どこに住んでいるのか」 。「臨淮の東城(安徽省・東城)におります。――この人は、胸に六韜三略を蔵し、生れながら機謀に富み、しかも平常は実に温厚で、会えば春風に接するようです。幼少に父をうしない、ひとりの母に仕えて孝養をつくし、家は富んでいるものですから東城の郊外に住んで、悠々自適しています」 。
小覇王
――聞けば、いつのまにやら、敵は一部の兵力を分けて、曲阿へ向け、曲阿方面から劉繇の本城――霊陵城のうしろを衝いていた。 その上に。 ここにまた、盧江松滋(安徽省・安慶)の人で、陳武、字を子烈というものがある。陳武と周瑜とは同郷なので、かねて通じていたものか、 。(時こそ来れ。
平和主義者
× × × 。 時に。 その後の袁術の勢力はどうかというに、彼もまた淮南を中心に、江蘇、安徽一帯にわたっていよいよ強大を加え、しかも内心不敵な野望を抱いていたから、軍備城塞にはことに力を注いでいた。「今日、この議閣に諸君の参集を求めたのはほかでもないが、今となって孫策から、にわかに、伝国の玉璽を返せと云ってきた。――どう答えてやったものだろうか。
建艦総力
もし成らざるときは、九族を誅して、罪を糺し給うとも、決してお恨みとは存じませぬ」。二。 魏が全力をあげて来た征呉大艦隊は、すでに蔡・潁(河南省・安徽省)から淮水へ下って、その先鋒は早くも寿春(河南省・南陽)へ近づきつつあると伝えられた。そしてこの飛報の至るごとに、いまや呉の全将士は国防の一線に生死を賭けて、 。「ここに勝たずんばこの国なし。