安邑
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だから李楽だけは一行の中でも二百余人の手下を持ち、誰よりも一番威張りだした。 太尉楊彪は、 。「ひとまず、安邑県(山西省・函谷関の西方)へおいであって、しばし仮の皇居をお構え遊ばし、玉体を保たせられては如何ですか」と、帝へすすめた。「よいように」 。 帝はもうすべてを観念なされているかのように見えた。
そのうちに、一族の曹真が、 。「まさかそんなこともあるまい。もし軽々しく征伐して、それが真実でなかったら、求めて君臣の間に擾乱を醸すものではないか」という穏当な反対も出たりしたため、結局、漢の高祖が雲夢に行幸した故智にならって、魏帝みずから安邑に遊び、司馬懿が出迎えに出るとき、そっと気色をうかがって、彼に叛気が見えたら即座に縛め捕ってしまえばよかろう――という説に帰着した。 やがて行幸は実現された。布達に依って、司馬懿仲達は西涼の兵馬数万を華やかに整えて、魏帝の輦を、安邑の地に出迎えるべく...