宜城
No content available.
No content available.
」 。 と侍従たちにも怪しまれるほど、その日の宴は、帝にも心からご愉快そうであった。 帝の特旨に依って、玄徳は、左将軍宜城亭侯に封ぜられた。 また、それ以来、朝野の人々も、玄徳をよぶのに「劉皇叔」と敬称した。 ――が、ここに、当然、彼の擡頭をあまりよろこばない一部の気運も醸されてきた。
玄徳がつつまず物語ると、司馬徽は幾度かうなずいて――さもあらんといわぬばかりの面持であったが、 。「ときに、将軍にはただ今、どういう官職におありですかな」 。「左将軍宜城亭侯、予州の牧を兼ねておりますが」 。「さすれば、すでに立派な朝廷の藩屏たる一人ではおざらぬか。しかるに、なんで区々たる他人の領に奔命し、つまらぬ小人の好言に追われていたずらに心身を疲らせ、空しく大事なお年頃を過したもうか」 。
「うん」と、一つうなずいたきり、後ろに続く関羽、張飛などの姿へ、棗のような眼をみはっている。「大儀ながら、廬中へ取次いでもらいたい。自分は、漢の左将軍、宜城亭侯、領は予州の牧、新野皇叔劉備、字は玄徳というもの。先生にまみえんため、みずからこれへ参ったのであるが」 。「待っておくれ」 。
筆の穂も凍っている。玄徳は雲箋を手にして、次の一文を認めた。漢の左将軍宜城の亭侯司隷校尉領予州の牧劉備。歳両番を経て相謁して遇わず、空しく回っては惆悵怏々として云うべからざるものあり。切に念う、備や漢室の苗裔に生れ忝けなくも皇叔に居、みだりに典郡の階に当り、職将軍の列に係る。
領地を拡大されるごとに、さらにそれを要としましょう」 。「荊、襄の地に、なお遺賢がいるだろうか」 。「襄陽宜城の人で、馬良、字を季常という、この者の兄弟五人は、みな才名高く、馬氏の五常と世間からいわれていますが、中で馬良はもっとも逸材で、その弟の馬謖も軍書を明らかに究め、万夫不当の武人です」 。「召したら来るだろうか」 。「幕賓の伊籍は親しいと聞いております。