宜都
No content available.
No content available.
もと荊州の士だった一将が答えていう。「――烏林の西。宜都の北のほうです」 。「宜都の北とな。ああそんな方角へ来ていたか」 。
「そちの家には、李異と謝旌という万夫不当な勇将も二人養っているそうだ。大いによかろう、征って来い、なお副将には、老練な虎威将軍朱然をつけてやる」 。 かくて呉軍五万は、宜都(湖北省・宜都)までいそいだ。朱然は右都督、孫桓は左都督として、各〻二万五千を両翼に分って、蜀に対峙した。 白帝城を出、秭帰を経、この宜都までのあいだ、蜀軍は進むところを席巻して、地方地方の帰降兵を収容し、ほとんど、颱風の前に草木もないような勢いだった。
五虎の大将軍、すでに逝くもの三人」 。 成都へ彼の棺槨を送るの日、玄徳は曠野に立って灰色の雪空を長く仰いでいた。「かくては」と、玄徳は自ら心を励まし、御林の軍をひきいて、凍る帝旗を、さらに、猇亭(湖北省・宜都の西方)まで進めた。 はからずもこの附近で、呉の韓当軍と会戦した。張苞は韓当の唯一の部下夏恂を打ち破り、関興は周泰の弟周平の首をあげた。