馬騰と一族
曹操はすぐ人を選んで西涼へ早馬を立て、二の使いとして、すぐ後からまた、有力な人物を向けて、軍勢の催促を云いやった。 涼州の地は支那大陸の奥曲輪である。黄河の上流遠く、蒙疆に境する綏遠、寧夏に隣接して、未開の文化は中原のように華やかでないが、多分に蒙古族の血液をまじえ、兵は強猛で弓槍馬技に長じ、しかも北方の民の伝統として、常に南面南出の本能を持っている。 ところで、太守馬騰は、字を寿成といい身長八尺余、面鼻雄異、しかし性格は温良な人だった。 もと、漢帝に仕えた伏波将軍馬援の子孫で、父の馬粛の...
本文
望蜀の巻
三国志