寿春
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「寿春」登場回数
合計: 23回「寿春」が登場する場面
7件仲秋荒天
「一大事」とばかり伝騎は飛ぶ。 早打ち、また早打ち。――袁術の寿春城へさして、たちまち櫛の歯をひくように変を知らせてきた。「曹、玄、呂、三手の軍勢が一体となって――」 。 と聞くと、さすがの袁術も、もってのほかに驚倒した。
大江の魚
ひそかに誓う大志を若い胸に秘めて、国々の人情、地理、兵備などを見て歩いた。いわゆる武者修行の辛酸をつぶさになめて遍歴したのである。 そして、二年ほど前から、淮南に足をとめて、寿春城の袁術の門に、食客として養われていた。 袁術と、亡父孫堅とは、交わりのあった仲であるのみならず、孫堅が劉表と戦って、曲阿の地で討死したのも――まったく袁術の使嗾があの合戦の動機でもあったから、――袁術も同情して、 。「わが手許におるがよい」と、特にひきとめて、子の如く愛していたのであった。
建艦総力
龍骨の長さ二十余丈、兵二千余人をのせることができる。これを龍艦と呼び、十数隻の進水を終ると、魏の黄初五年秋八月、他の艦艇三千余艘を加えて、さながら「浮かべる長城」のごとく呉へ下った。 水路は長江によらず、蔡・潁から湖北の淮水へ出て、寿春、広陵にいたり、ここに揚子江をさしはさんで呉の水軍と大江上戦を決し、直ちに対岸南徐へ、敵前上陸して、建業へ迫るという作戦の進路を選んだのであった。 一族の曹真は、このときも先鋒に当り、張遼、張郃、文聘、徐晃などの老巧な諸大将がそれを輔佐し、許褚、呂虔などは中軍...
母と妻と友
例によって、彼の怒りをなだめる役は、いつも陳宮であった。「袁一門には、袁紹という大物がいることを忘れてはいけません。袁術とても、あの寿春城に拠って、今河南第一の勢いです。――それよりは、落ちた玄徳を招いて、巧みに用い、玄徳を小沛の県城に住まわせて、時節をうかがうことです。――時到らば兵を起し、玄徳を先手とし、袁術を破り、次いで、袁閥の長者たる袁紹をも亡ぼしてしまうのです。
煩悩攻防戦
幾たびも、わが背へいった。 綿と錦繍につつまれた白珠の如き十四の処女はこうして父に負われて城を立つ時から、もう半ば失神していた。「――行く末おまえを皇后に立てて下さろうという寿春城の袁家へお嫁に行くのだよ」 。 彼女の母は泣きながら云い聞かせたが――これが花嫁の踏まなければならない途中の道なのか。 ――彼女の白い顔は氷化し、黒い睫毛は上の瞼と下の瞼とを縫い合わせたように凍りついていた。
空腹・満腹
一。 ――一時、この寿春を捨て、本城をほかへ遷されては。 と、いう楊大将の意見は、たとえ暫定的なものにせよ、ひどく悲観的であるが、袁術皇帝をはじめ、諸大将、誰あって、 。「それは余りにも、消極策すぎはしないか」と、反対する者もなかった。
花嫁
「吉日を待たないことです。身分も慣例も構うことではありません。四隣の国々が気づかぬまに、疾風迅雷、ご息女のお輿を、まず袁家の寿春まで、お送りしてしまうことです」。四。「なるほど」 。