小城
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やがてそれは雲の裡にかくれ去った。 呂布は、眼を辺りへ移して、 。「この小城では守るに足らん。李儒、貴公はここで曹操の追手を防ぐ気か」と、たずねた。 李儒は、頭を振って、 。
主柱たる劉繇が、どこともなく逃げ落ちてしまってからも、彼は、節を変えず、離散した兵をあつめ、涇県の城にたてこもり、依然として抗戦しつづけていた。 きのうは九江に溯江し、きょうは秣陵に下り、明ければまた、涇県へ兵をすすめて行く孫策は、文字どおり南船北馬の連戦であった。「小城だが、北方は一帯の沼地だし、後ろは山を負っている。しかも城中の兵は、わずか二千と聞くが、この最後まで踏み止まっている兵なら、おそらく死を決している者どもにちがいない」 。 孫策は、涇県に着いたが、決して味方の優勢を慢じな...
と、どよめき立ち、厳白虎の弟厳与は、楓橋(江蘇省・蘇州附近)まで兵を出して防寨に拠った。 この際、孫策は、 。「たかのしれた小城」 。 と、自身、前線へ立って、一もみに、突破しようとしたが、張紘にたしなめられた。「大将の一身は、三軍の生命です。
「小沛の城を一揉みにもみ潰し、玄徳を生捕って来れ」と、命じた。 陳宮は謀士である。小沛は小城と見ても無謀には立ち向わない。 彼は、附近の泰山にいる強盗群を語らって、強盗の領袖、孫観、呉敦、昌豨、尹礼などという輩に、 。「山東の州軍を荒し廻れ。
駿足赤兎馬の迅い脚は、辛くも呂布の一命を救った。 徐州は奪られ、小沛にははいれず、呂布は遂に、下邳へ落ちて行った。 下邳は徐州の出城のようなもので、もとより小城だが、そこには部下の侯成がいるし、要害の地ではあるので、 。「ひとまずそこに拠って」と、四方の残兵を呼び集めた。 かくて戦は、曹操の大捷に帰し、曹操は玄徳に対して、 。
同じ戦うなら、もっと陽気にやろうじゃありませんか」 。「お、張飛か。そちのことばももっともだが、いかんせんこの小城、敵は二十万と聞えている」 。「二十万だろうが、百万だろうが、憂いとするには足りません。なぜならば、曹操は短気なので兵馬はみな許都からの長途を、休むひまなく馳け下ってきたにちがいありません。
――お伴しましょう」 。 浪士は気軽であった。 城中へ来てみると、小城ながら新野の城主と分って、気軽な彼もやや意外な顔をしていたが、玄徳は上賓の礼をもって、これを迎え、酒をすすめながら、さて名をたずねた。「拙者は、潁上(安徽省・潁上)の単福と申し、いささか道を問い、兵法を学び、諸国を遊歴している一介の浪人にすぎません」 。 単福は、それ以上、素姓も語らず、たちまち話題を一転して、こう求めた。