太医吉平
袁紹の謀臣、沮授なども、同じ先見を抱いて、袁紹にその計をすすめたこともあるが、袁紹の優柔不断な性格がぐずぐずしているまに、機を逸して曹操に先を越されてしまい、歴代漢朝の名門でありながら、その強大な勢力も今では地方的な存在に置きかえられてしまったのである。 荀彧は、内治の策にも、着々と功績をあげてきた。 許都を中心に、屯田策を採用し、地方の良民のうえに、さらに人望のある戸長を用い、各州郡に田官というものをおいて、その単位を組織し善導し、大いに農耕を奨励したりしたので、一面戦乱のなかにありなが...
臣道の巻
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三国志