山川 三国志 地名 No content available. 「山川」登場回数 合計: 20回 0 1 3 4 6 0 桃園の巻 3 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 3 孔明の巻 2 赤壁の巻 6 望蜀の巻 1 図南の巻 4 出師の巻 1 五丈原の巻 「山川」が登場する場面 7件 南蛮行 と孔明のよろこびもひとかたでないし、再生の関索も勇躍して先陣の軍についた。 すでにして、益州の南部に入った。山川は嶮しく気候は暑く、軍旅の困難は、到底、中原の戦とは較べものにならない。 建寧(雲南省・昆明)の太守は雍闓という者であったが、彼はすでに反蜀聯合の一頭目をもって自負し、背後には南蛮国の孟獲とかたく結び、左右には越雋郡の高定、牂※郡の朱褒と一環の戦線を形成して、 。「孔明が自ら来るとは望むところだ」 。 出師の巻 本文 三国志 孔明を呼ぶ 今のうちにここを退いて、後陣と合するか、後陣をここへ入れて、建業からさらに新手の後ろ備を仰がねば、互角の戦いをすることはできまい」 。 恟々と、ふるえ上がっているのを見て、朱桓は、主なる部下を会して告げた。「魏の大軍はまさに山川を埋めている観がある。しかし彼は遠く来た兵馬であり、この炎暑にも疲労して、やがてかえって、自らの数に苦しむときが来るだろう。陣中の悪疫と食糧難の二つが彼を待っておる。 出師の巻 本文 三国志 山谷笑う ああそんな方角へ来ていたか」 。 と曹操は、馬上から、しきりに附近の山容や地形を見まわしていた。山川峨々として樹林深く、道はひどくけわしかった。「あはははは。あははは」 。 本文 望蜀の巻 三国志 文武競春 すなわち七言八絶を賦って――。銅雀台ハ高ウシテ上天ニ接ス 。眸ヲ凝セバ遍ス旧山川 。欄干ハ屈曲シテ明月ヲ留メ 。窓戸ハ玲瓏トシテ紫烟ヲ圧ス 。 本文 望蜀の巻 三国志 日輪 孫権は涙しながらその遺書を見た。 張紘の遺書には縷々として、生涯の君恩の大を謝してあった。そして、自分は日頃から、呉の都府は、もっと中央に地の利を占めなければならぬと考え、諸州にわたって地理を按じていたが、秣陵(南京附近)の山川こそ実にそれに適している。万世の業礎を固められようとするなら、ぜひ遷都を実現されるように。これこそいま終りに臨んでなす最後のご恩報じの一言であると結んであった。 本文 三国志 遠南の巻 月落つ麦城 関羽は、矢倉へ上った。そして古城の外をながめた。愕くべし満地の山川ことごとく呉旗呉兵と化している。いわゆる蟻も通さぬ鉄桶の囲いである。しかも隊伍斉々、士気は高く、馬のいななきも旺である。 出師の巻 本文 三国志 臨戦第一課 「蹴ちらすに足らぬ敵勢、こう進路のはかどるのは、味方の強いばかりでなく、敵が微弱すぎるのだ。それを、何とて、びくびくするのか」 。「いや、びくびくはせぬが、兵法の初学にも――難道行くに従って狭く、山川相せまって草木の茂れるは、敵に火計ありとして備うべし――。ふと、それを今、ここで思い出したのだ」 。「むむ。 本文 三国志 赤壁の巻 「山川」を全て検索