川中島
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曹操は、その水流一帯に、逆茂木を張りめぐらし、大山の嶮に拠って固く守りを改めていた。 両軍はこの流れをさし挟んで対陣となった。地勢の按配と双方の力の伯仲しているこの軍は、ちょうどわが朝の川中島における武田上杉の対戦に似ているといってもよい。「いかに、河北の軍勢でも、これでは近づき得まい」 。 と、曹軍はその陣容を誇るかのようだった。
第三、第四、第五、第六――というふうに、一瞬のまにその烽火が次々の空へと走り移って、数百里の遠くの異変も、わずかなうちにそれを本城で知り得るという仕組なのである。 この「つなぎ烽火」の制は、日本の戦国時代にも用いられていたらしい。年々やまぬ越後上杉の進出に備えて、善光寺平野から甲府までのあいだを、その烽火電報によって、短時間のまに急報をうけ取っていたという川中島戦下の武田家の兵制などは、その尤なる一例であったということができる。「着々、工事は進んでいます。――あとは人の問題ですが」 。