巴蜀
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「巴蜀」登場回数
合計: 12回「巴蜀」が登場する場面
7件泥魚
劉表は喜んでかならずお扶けすると存じますが」 。 玄徳は、考えていたが、 。「なるほど、荊州は江漢の地に面し、東は呉会に連なり、西は巴蜀へ通じ、南は海隅に接し、兵糧は山のごとく積み、精兵数十万と聞く。ことに劉表は漢室の宗親でもあるから、同じ漢の苗裔たる自分とは遠縁の間がらでもあるが……たえて音信を交わしたこともないのに、急に、この敗戦の身と一族をひき連れて行ってどうであろうか。」 。
蜀また倣う
先頃の進言を予が拒んだので、それが煩いの因じゃと申すのか」 。「さればです。臣、草廬を出てよりはや十余年、菲才を以て君に仕え、いま巴蜀を取ってようやく理想の一端は実現されたかの感があります。しかしなおここに万代の基礎をたてて、さらに、この鴻業、この耀きを、不朽ならしめんとするに当って、如何なる思召しやら、あなた様にはこの期に至って、世の俗論をおそれ、一身の名分にばかりこだわり、ついに天下の大宗たるお志もないようであります。一世の紛乱の暗黒を統べ闢き、万代にわたる泰平の基をたつるは、天に選ば...
蜀人・張松
すると、大祭を行う。漢中の街は、邪宗門のあくどい彩で塗りつぶされ、廟門には豚、鶏、織物、砂金、茶、あらゆる奉納品が山と積まれ、五斗入り袋は、十倉の棟にいっぱいになる。 こうして、邪教の猖獗は、年ごとに甚だしくなり、今年でもう三十年にもなるが、いかにせん、その悪弊は聞えてきても、中央に遠い巴蜀の地である。令を以て禁止することも、兵を向けて一掃することもできない。 そこでかえって、教主張魯に対しては、卑屈な懐柔策を取ってきた。
西蜀四十一州図
× × × 。 益州。それは巴蜀地方の総称である。漢代から蜀は益州、或いは巴蜀とひろく呼ばれていた。 実に遠い旅行だった。
諸葛氏一家
袁紹は死し、曹操の威は震雷している。――が、果たして、旧土の亡民は、心からその威に服しているかどうか。 益州――巴蜀の奥地は、なおまだ颱風の圏外にあるかのごとく、茫々の密雲にとざされているが、長江の水は、そこから流れてくるものである。 水源、いつまで、無事でいよう。かならずや、群魚の銀鱗が、そこへさかのぼる日の近いことは、分りきっている。
鈴音
「兵糧武具の備えはどうか」 。「軍備は充実していますが、活用を知らず、法伍の整えなく、これを攻めれば、立ちどころに崩壊するだろうと思います。――君いま、勢いに乗って、江夏、襄陽を衝き、楚関にまで兵をおすすめあれば、やがて、巴蜀を図ることも難しくはございますまい」 。「よく申した。まことに金玉の論である。
陣前公用の美酒
それから後、張郃はまた、 。「てまえに、兵三万をお頒ち下さい。巴蜀のほうに、のこのこ頭を出してきた張飛の軍を、一叩き叩いて後の憂いを断ってきますから」と、いった。 曹洪は、彼が、張飛をあなどっている様子を、かえって危うく思い、 。「めったにはなるまい」と、容易にゆるさなかった。