常山
No content available.
No content available.
「ご辺は、どこへ帰ろうとする旅人か」 。 公孫瓚の問いに、 。「それがしは、常山真定(河北省・正定の附近)の生れゆえ、そこへ帰ろうとする者です。趙雲、字は子龍と云います」 。 眉濃く、眼光は大に、見るからに堂々たる偉丈夫だった。
浪人者は面をあげて、 。「これは計らざる所で、……」とばかり、しばしはただなつかしげに見まもっていた。 これなん真定常山の趙雲、字は子龍その人であった。 趙子龍はずっと以前、公孫瓚の一方の大将として、玄徳とも親交があった。かつては玄徳の陣にいたこともあるが、北平の急変に公孫瓚をたすけ、奮戦百計よく袁紹軍を苦しめたものである。
ねがわくば、尊名を聞かせ給え」と、呼ばわった。 声に応じて、 。「それがしは、常山の趙子龍。――見事、わが行く道を、立ちふさがんとせられるか」 。 と、青釭の剣を持ち直しながら趙雲は答えた。
と、身を現して、舷端に突っ立ち、徐盛の舟へ向って呼ばわった。「眼あらば見よ、耳あらば聞け。われは常山の子龍趙雲である。劉皇叔のおいいつけをうけて、今日、江辺に舟をつないで待ち、わが軍の軍師をお迎えして夏口に帰るに、汝ら、呉の武将が、何の理由あって阻むか。みだりに追い来って、わが軍師に、何を働かんといたすか」 。
ところが、その講義の終るか終らないうちに、たちまち左右の森林から一隊の軍馬が突出して来た。そして前後の道を囲むかと見えるうちに、 。「常山の子龍趙雲これに待てりっ。曹操っ、待て」 。 という声が聞えたので、曹操は驚きのあまり、危うく馬から転げ落ちそうになった。
怪しんで、周瑜が、 。「城頭に立つは、何者か」と、壕ぎわから大音にいうと、先も大音に、 。「常山の趙雲子龍、孔明の下知をうけて、すでにこの城を占領せり。――遅かりし周瑜都督、お気の毒ではあるが、引っ返し給え」と、城の上から答えた。 周瑜は仰天して、空しく駒を返したが、すぐ甘寧をよんで荊州の城へ馳せ向け、また凌統をよんで、 。
「かなわん」と、見きりをつけて、大鉞は逃げ出した。ところが、その先へ迫って、また一名の強敵が、彼の道へ立ちふさがった。「常山の趙雲子龍とはそれがしなり。道栄っ、無用の鉞を地に捨てよ」。三。