建業
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「建業」登場回数
合計: 48回「建業」が登場する場面
7件この一戦
一度ならず二度まで敗北した孫桓は、陣営ことごとく敵に焼かれて、無念のまなじりをあげながらやむなく夷陵の城(湖北省・宜都、宜昌の東北)へ退却した。 蜀は仮借なくこれを追い込み、崔禹の首を刎ねて、いよいよ威を示した。そして序戦二回の大敗報は、やがて呉の建業城中を暗澹とさせた。「王、さまで御心をいためることはありません。呉建国以来の名将はすでに世を辞して幾人もありませんが、なお用うべき良将は十余人ありましょう。
一書生
一。 程秉は逃げ帰るように急いで呉国へ引き揚げた。その結果、ふたたび建業城中の大会議となって、閣員以下、呉の諸将は、今さらの如く蜀の旺盛な戦意を再認識して、満堂の悽気、恐愕のわななき、おおうべくもなかった。「諸員。何をか恐れるか。
具眼の士
然る後は、蜀呉天下を二分して、理想的な建設を地上に興すことができよう。と切々説いているものであった。 費褘は、建業へ行った。 孫権は、孔明の書簡を見、また蜀の使いを応接するに、礼はなはだ厚かった。 そして、彼に云った。
冬将軍
彼は諫めていう。いまや呉の陣は去年とは内容が一変している。若い孫桓を後方に下げて、前線は、新たに建業から大軍をひきいてきた韓当、周泰など老練を配し、先手には潘璋、うしろ備えには凌統、そして呉随一の戦上手といわれる甘寧が全軍をにらんで遊軍という位置にある。しかもその数、十万という新鋭。そんな所へわずか十騎をつれて何しに参られるか、と教えかつ大いに笑った。
呂蒙と陸遜
当時まだ呉郡の一地方におかれ、その名声は低く、地位は佐官級ぐらいに止まっていた。 だが彼の才幹は呉侯も日頃から愛していたところだし、呂蒙はなおさら深く観てその将来に嘱目していた。 ふたりは同船して、ふたたび呉の建業へ帰り、呉侯孫権にまみえて、荊州の実状を詳しく告げた。あわせて呂蒙は、自分の仮病は敵方に対する当面の一謀に過ぎない旨を語って、主君に心を煩わせたことを詫びた。「この機会に、陸口の守りには、ぜひ誰か別人をご任命ください。
呉の外交
一。 ――それより前に。 張飛の首を船底に隠して、蜀の上流から千里を一帆に逃げ降った范疆、張達のふたりは、その後、呉の都建業に来て、張飛の首を孫権に献じ、今後の随身と忠節を誓ったあげく、 。「蜀軍七十余万が、近く呉に向って襲せてきます。一刻もはやく国境へ大兵をお送りにならないことには、玄徳以下、積年のうらみに燃ゆる蜀の輩、堤を切った怒濤のごとく、この江南、江東を席巻してしまうでしょう」と、声を大にして告げた。
国葬
一。 呉侯は、呂蒙の死に、万斛の涙をそそいで、爵を贈り、棺槨をそなえ、その大葬を手厚くとり行った後、 。「建業から呂覇を呼べ」と、いいつけた。 呂覇は呂蒙の子である。やがて張昭に連れられて荊州へ来た。