彭城
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当時、呉下の智能はほとんど一堂に集まったといっていい。 張昭、張絋、周瑜、魯粛などの宿将をはじめとして、 。 彭城の曼才、会稽の徳潤、沛県の敬文、汝南の徳枢、呉郡の休穆、また公紀、烏亭の孔休など。 かの水鏡先生が、孔明と並び称して――伏龍、鳳雛といった――その鳳雛とは、襄陽の龐統のことだが、その龐統も見えている。 そのほか、汝陽の呂蒙とか、呉郡の陸遜とか、瑯琊の徐盛とか――実に人材雲のごとしで、呉の旺なことも、故なきではないと思わせられた。
けだし尊公などもその組ではないか」 。 陸績は胸ふさがって、二の句もつげなかった。 昂然、また代って立ったのは、彭城の厳畯、字は曼才。「さすがは孔明、よく論破された。わが国の英雄、みな君の弁舌におおわれて顔色もない。