忠節
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脱走して、他国や郷土へ落ちてゆく兵がぼつぼつ殖えだした。 そういう兵には、 。「おまえたちの忠節は、天子もお知りになっておる。時節を待て。そのうちに、触れが廻るであろうから」と、云いふくめた。
足下もいらざる質問をせず、その剣を抜いて一颯に僕の血けむりを見給え」 。「いやいや。予は、君の忠節はよく知っておるが、君の噴血をながめて快笑しようとは思わぬ。君は自分を敗軍の将と卑下しておらるるが、その敗因は君が招いたものではない。劉繇が暗愚なるためであった」 。
董承は、恐懼して、身のおくところも知らなかった。 帝はやがて董承を伴って、殿廊を渡られ、御苑を逍遥して、なお、洛陽から長安、この許昌と、三度も都を遷したあいだの艱難を何かと語られて、 。「思うに、いくたびか、存亡の淵を経ながらも、今日なお、国家の宗廟が保たれていることは、ひとえに、御身のような忠節な臣のあるおかげだ」 。 と、しみじみいわれた。 玉歩は、さらに、彼を伴ったまま大廟の石段を上がられて行った。
」 。 張遼は、ひるみなく答えた。「諸氏は関羽の勇だけをおもんぱかっておられるようだが、拙者のもっとも至難と考えるところは、彼が人いちばい、忠節と信義にあつい点である。しかし幸いにも、拙者と彼とは、――形の交わりはないが、つねに戦場の好敵手として、相見るたび、心契の誼みに似たものを感じ合っている。おそらく彼も拙者のことを記憶しておるにちがいないと思う」 。
……兄弟の情にひかれて父を欺くとせば、不忠不義。ああどうしたものか」 。 しかし彼は、関羽の忠節を鑑としても、自分の主君に偽りはいえなかった。「――行って参りました。四方山ばなしの末、いろいろ探ってみましたが、あくまで留まる容子は見えません。
「山賊の将たる汝が、何故、仲間の首を斬って縁もない自分に、さまでの好意を寄せるか、何とも解し難いことである」と容易に信じなかった。「ごもっともです――」と、廖化は、山賊という名に卑下して、 。「二夫人の従者から将軍が今日にいたるまでのご忠節をつぶさに聞いて、まったく心服したためであります。緑林の徒とても、心まで獣心ではありません」 。 といったが、たちまち、馬に乗ったかと思うと、ふたたび以前の山中へ馳けもどった。
「ああ。こんな愉快な夜はない。将軍の忠節と風貌をお慕いすることや実に久しいものでしたよ。どうか、お杯をください」 。 弁喜の眼の底にも、爛々たる兇悪の気がみちている。