忠節
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「忠節」登場回数
合計: 27回「忠節」が登場する場面
7件のら息子
「東嶺関の孔秀が関羽を阻めて斬られた由を聞かれ、さて、わが失念の罪、もし行く行く同様な事件が起きたら、諸所の太守をあだに死なすであろうと――にわかに告文を発しられ、二度まで早打ちを立てられたが、なおご心配のあまり、それがしを派遣された次第である」 。「どうしてさようにご愍情をかけられるのやら」 。「君も、関羽のごとく、忠節を励みたまえ」 。「やわか、彼ごときに、劣るものか」 。 と、負けず嫌いに、唾をはきちらして、なお憤々と云いやまなかった。
一竿翁
敬うて聞かれよ。――呉の黄蓋、字は公覆、すなわち三江の陣にあって、先鋒の大将をかね呉軍の軍粮総司たり。この人、三代があいだ呉に仕え、忠節の功臣たること、世みな知る。――然るを、つい数日前、寸言、周都督に逆らえりとて、諸大将のまっただ中にていたく面罵せられたるのみか、すでに老齢の身に、百打の刑杖を加えられ、皮肉裂け、血にまみれ、気は喪うにいたる。諸人、面をそむけ、ひそかに都督の酷薄をうらまぬはない。
五関突破
「ああ。こんな愉快な夜はない。将軍の忠節と風貌をお慕いすることや実に久しいものでしたよ。どうか、お杯をください」 。 弁喜の眼の底にも、爛々たる兇悪の気がみちている。
兄弟再会
「それは意外だった」 。 糜竺兄弟は、さっそく通って、二夫人に謁し、また、関羽に会って、こもごも、久濶の情を叙した。 二夫人は、人々にたいして、許都逗留中の関羽の忠節をつぶさに語った。 張飛は今さら面目なげに、感嘆してやまなかった。 そして羊を屠り山菜を煮て、その夜も酒宴をひらいた。
冬葉啾々
きびしい監視の眼をしのんで秘勅の一文をしたためられた。 これを穆順という一朝臣にあずけて、そっと、伏皇后の父君にあたる伏完のやしきへ持たせてやったのである。忠節無二な穆順は、御詔書を、髻の中にかくして、この命がけの使いに、一夜禁門から出て行った。二。 朝臣のうちにも、曹操のまわし者たるいわゆる「視る目嗅ぐ鼻」はたくさんいる。
南蛮行
あんな律義な人間が蜀に謀叛するわけはない、まったく雍闓や朱褒に欺されているのだ。その証拠には、きょう雍闓から密使が来て、蜀帝にねがって、所領の安全と、恩賞を約束してくれるなら、いつでも高定と朱褒の首を持ってくると告げて帰った。――わしは高定の律義と忠節を信じておるから追い返したが、そのひとつでも汝らの主人が雍闓のお先棒に使われているということがわかるではないか」 。 と、雑談のように話して聞かせた。 単純な南蛮兵は、放されて自分たちの陣地へ帰ると、みな孔明の寛大を賞めちぎり、主人の高定に向...
呉の外交
一。 ――それより前に。 張飛の首を船底に隠して、蜀の上流から千里を一帆に逃げ降った范疆、張達のふたりは、その後、呉の都建業に来て、張飛の首を孫権に献じ、今後の随身と忠節を誓ったあげく、 。「蜀軍七十余万が、近く呉に向って襲せてきます。一刻もはやく国境へ大兵をお送りにならないことには、玄徳以下、積年のうらみに燃ゆる蜀の輩、堤を切った怒濤のごとく、この江南、江東を席巻してしまうでしょう」と、声を大にして告げた。