斜谷
No content available.
「斜谷」登場回数
合計: 40回「斜谷」が登場する場面
7件ネジ
「そうだそうです」 。「彼につくれる物なら、その構造を見れば、わが陣でもつくれぬことはない。ひとつ貴公らが協力して、斜谷の道に兵を伏せ、敵の輸送隊を襲撃して、その木牛流馬とかいう器械を四、五台捕獲して来ぬか」 。「承知しました。ご命令はそれだけですか」 。
中原を指して
「ここと長安の間は、長駆すれば十日で達する距離です。もしお許しあれば、秦嶺を越え、子午谷を渡り、虚を衝いて、敵を混乱に陥れ、彼の糧食を焼き払いましょう。――丞相は斜谷から進まれ、咸陽へ伸びて出られたら、魏の夏侯楙などは、一鼓して破り得るものと信じますが」 。「いかんなあ」 。 孔明は取り上げない。
二度祁山に出づ
姜維の一言に孔明も大いに悟るところがあった。一転、彼は方針をかえた。 すなわち、陳倉の谷には、魏延の一軍をとどめて、対峙の堅陣を張らせ、また、近き街亭方面の要路には、王平と李恢に命じて、これを固く守らせておいて、孔明自身は、夜ひそかに陳倉を脱し、馬岱、関興、張苞などの大軍をつれて遠く山また山の間道を斜谷を越え、祁山へ出て行ったのである。 一面。――魏の長安大本営では、大都督曹真が、王双からの捷報を聞いて、 。
八陣展開
「曹真の病は重態とみえる……」 。 一日、孔明は敵のほうをながめて呟いた。 斜谷から敗退以後、魏の大都督曹真が病に籠るとの風説はかねて伝わっていたが、どうしてその重態がわかりますか――と傍らの者が訊くと、孔明は、 。「軽ければ長安まで帰るはずである。今なお渭水の陣中に留まっているのは、その病、甚だ重く、また士気に影響するところをおそれて、敵味方にそれを秘しているからだろう」と、いった。
具眼の士
これは従来に見られなかった魏の積極的攻勢を示したものであると共に、用意周到な司馬懿は、本陣の後ろにある東方の曠野に、一城を構築して、そこを恒久的な基地となした。 この恒久戦の覚悟はまた、より強く、今度は蜀軍の備えにも観取できる。祁山に構えた五ヵ所の陣屋は、これまでの規模とそう変りはないが、斜谷から剣閣へわたって十四ヵ所の陣屋を築き、この一塁一塁に強兵を籠めて、運輸の連絡と、呼応連環の態勢を作ったことは、 。「魏を撃たずんば還らじ」 。 となす孔明の意志を無言に儼示しているものにほかなら...
女衣巾幗
予もそう観ていたところだ」 。 それから仲達は珍しくこんな意見を洩らした。「――もし孔明が、斜谷、祁山の兵を挙って、武功に出で、山に依って東進するようだったら憂うべきだが、西して五丈原へ出れば、憂いはない」 。 さすがに司馬懿は慧眼であった。彼がこの言をなしてから日ならずして、孔明の軍は果然移動を開始した。
次男曹彰
時すでに陽平関は炎につつまれていた。敗れては退き、敗れては退き、各前線からなだれ来る味方は、関の内外に充満し、魏王曹操の所在も、味方にすら不明だった。「すでに、北の門を出、斜谷をさして、退却しておられる」 。 と味方の一将に聞いて、許褚は事態の急に愕きながら、ひたすら主君を追い慕った。 曹操は、その扈従や旗本に守られて、陽平関を捨ててきたが、斜谷に近づくと、彼方の嶮は、天をおおうばかりな馬煙をあげている。