東武
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と、許褚を叱って、七日の間、謹慎すべしと命じた。 許褚が退くと、入れ代りに、一名の高士が、礼篤く案内されてきた。河東武城の隠士、崔琰であった。 先頃から家へ使いを派して、曹操は再三この人を迎えていたのである。なぜならば、冀州国中の民数戸籍を正すには、どうしても崔琰に諮問しなければ整理ができなかったからである。
文官と武官と湧くごとく歓呼した。 すると、また一人、雲箋に詩を記して立った者がある。東武亭侯侍中尚書、鍾繇、字は元常であった。 この人は、当代に於て、隷書を書かせては、第一の名人という評がある。すなわち七言八絶を賦って――。