柴桑
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「柴桑」登場回数
合計: 27回「柴桑」が登場する場面
7件一帆呉へ下る
彼は呉へ檄を送ると同時に、その実力を水陸から南方へ展開した。 総勢八十三万の兵を、号して百万ととなえ、西は荊陜から東は※黄にわたる三百里のあいだ、烟火連々と陣線をひいて、呉の境を威圧した。 この時、呉主孫権も、隣境の変に万一あるをおそれて、柴桑城(廬山、鄱陽湖の東南方)まで来ていたが、事態いよいよただならぬ形勢となったので、 。「今こそ、呉の態度を迫られる時が来た。曹操についたが得策か、玄徳と結んだがよいか。
一掴三城
劉琦の血色をみるに、近々、危篤におちいりましょう。ここしばらく」 。 と、なだめているところへ、折も折、呉主孫権から早馬が来て、総軍みな荊州を捨てて柴桑まで引揚げろ、という軍令であった。
凛々細腰の剣
一。 夜も日も馬に鞭打ちつづけた。さる程にようやく柴桑の地へ近づいて来る。玄徳はややほっとしたが、夫人呉氏は何といっても女性の身、騎馬の疲れは思いやられた。 だが幸い、途中の一豪家で車を求めることができ、夫人は車のうちに移した。
周瑜・気死す
船を呉へ向けてくれ」 。 かすかな声でいった。 蒋欽と周泰は、病都督の身を守って、柴桑まで帰った。 周瑜は恨みをのみながら、ふたたび病牀に親しむのほかなかった。 けれど、やがてこの始末を知った呉侯孫権の鬱憤はやりばもなく、日夜、 。
大号令
一。 柴桑城の大堂には、暁天、早くも文武の諸将が整列して、呉主孫権の出座を迎えていた。 夜来、幾度か早馬があって、鄱陽湖の周瑜は、未明に自邸を立ち、早朝登城して、今日の大評議に臨むであろうと、前触れがきているからである。 やがて、真っ赤な朝陽が、城頭の東に雲を破って、人々の面にも照り映えて見えた頃、 。
月烏賦
その大船の艫には、「帥」の字を大きく書いた旗を立て、弩千張と黄鉞銀鎗を舷側にたてならべ、彼は将台に坐し、水陸の諸大将すべて一船に集まって、旺なる江上の宴を催した。 大江の水は、素絹を引いたように、月光にかすんでいた。――南は遠く呉の柴桑山から樊山をのぞみ、北に烏林の峰、西の夏口の入江までが、杯の中にあるような心地だった。「ああ楽しいかな、男児の業。眸は四遠の地景をほしいままにし、胸には天空の月影を汲む。
朝の月
と、千載万歳を謳歌している中で、独りひそかに、 。「何たることだ」と、予想の逆転と、計の齟齬に、鬱憤のやりばもなく、仮病をとなえて、一室のなかに耳をふさぎ眼を閉じていたのは呉侯孫権だった。 すると、柴桑の周瑜から、たちまち早馬をもって、一書を送ってきた。 うわさを聞いて、周瑜も仰天したらしい。金瘡の病患がまだ癒えぬため、参るにも参られず、ただ歯がみをしておるばかりですが、かくてやはあると、自ら心を励まし病中筆をとって書中に一策を献ず。