樊城
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「樊城」登場回数
合計: 50回「樊城」が登場する場面
7件七軍魚鼈となる
「もう心配はない。この上は一転して、攻勢に出で、魏の慢心を挫ぎ、わが実力の程を見せてくれねばならん」と、帷幕の人々と額をあつめて作戦をねっていた。 ところが魏軍はにわかに陣容を変えて、樊城の北方十里へ移ったという報告に、 。「さては早くも蜀の攻勢を怖れて、布陣を変えたとみえる」 。 と、軽忽を戒め合って、すぐその由を関羽に告げた。
亡流
孔明は、命を下して、 。「船をみな焼き捨てろ」と、いった。 そして、無事、樊城へ入った。 この大敗北は、やがて宛城にいる曹操の耳に達した。曹操は、すべてが孔明の指揮にあったという敗因を聞いて、 。
吟嘯浪士
そして黙って見ていると、単福は練兵調馬の指揮にあたるや、さながら自分の手足を動かすように自在で、しかも精神的にこれを鍛錬し、科学的に装備してゆくので、新野の軍隊は小勢ながら目立って良くなってきた。 この日頃――曹操はもう北征の業をひとまず終って、都へ帰っていたが、ひそかに次の備えとして、荊州方面をうかがっていた。 その瀬ぶみとして、一族の曹仁を大将とし、李典、呂曠、呂翔の三将をそえて、樊城へ進出を試み、――そこを拠点として、襄陽、荊州地方へ、ぼつぼつ越境行為を敢てやらせていた。「いま、新野...
呂蒙と陸遜
「祝着祝着。それでよし」と、かぎりなく歓んだ。 その後、陸遜は、わざと軍務を怠り、ひたすらじっと関羽の動静をうかがっていると果たして、関羽はようやく臂の矢瘡も癒えてくると共に、不落樊城の占領に意をそそぎ始め、先頃から目立たぬように、陸口方面の兵力をさいて、樊城のほうへぼつぼつ動かし出した様子である。「時到る」と、陸遜はその由を、すぐ建業へ急報した。 孫権はまた、その報を手にするや、時を移さず呂蒙を招いて、 。
建業会議
「大丈夫。衛兵も退けてある。荊州の関羽は一方で樊城と戦いながらも、呉との境には、寸毫油断していない。むしろ平時より防衛の兵力を強めていましょう。そしてすでに諸所の烽火台の工も完成しておりましょう。
新野を捨てて
「いまにして、荊州も取り給わず遅疑逡巡、曹操の来攻を、拱手してここに見ているおつもりですか」と、ほとんど、玄徳の戦意を疑うばかりな語気で詰問った。「ぜひもない……」と、玄徳は独りでそこに考えをきめてしまっているもののように―― 。「この上は新野を捨てて、樊城へ避けるしかあるまい」と、いった。 ところへ、早馬が来て、城内へ告げた。曹操の大軍百万の先鋒はすでに博望坡まで迫ってきたというのである。
烽火台
いまその蜀呉合作を未然に打破して、蜀を孤立させただけでも、大いなる成功であるとなし、呉の附帯条件も、文句なしに容れたものと思われる。 呉から提示していた条件というのは、もちろん魏の即時荊州進攻の実行にある。曹操は、調印直後、満寵を樊川軍参謀に任じ、曹仁のいる前線拠地――樊城へ派遣して、彼を扶けさせた。 蜀はこの間に、もっぱら内治と対外的な防禦に専念し、漢中王玄徳は、成都に宮室を造営し、百官の職制を立て、成都から白水(四川省広元県西北。蜀の北境)まで四百余里という道中の次々には駅舎を設け、官の...