汝南
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「汝南」登場回数
合計: 62回「汝南」が登場する場面
7件のら息子
そうした幾日目かである。 彼方からひとりの騎馬の旅客が近づいてきた。見れば何と、汝南で別れたきりの孫乾ではないか。 互いに奇遇を祝して、まず関羽からたずねた。「かねての約束、どこかでお迎えがあろうと、ここへ参るまでも案じていたが、さてかく手間どったのはどうしたわけです」 。
乱兆
見ればその人は、貌相魁偉胸ひろく双肩威風をたたえ、武芸抜群の勇将とは見られた。 これなん、漢の司徒袁安が孫、袁逢が子、袁紹であった。袁紹字は本初といい、汝南汝陽(河南省・淮河上流の北岸)の名門で門下に多数の吏事武将を輩出し、彼も現在は漢室の司隷校尉の職にあった。 袁紹は、昂然とのべた。「願わくば自分に精兵五千を授け給え。
兄弟再会
その晩、山上の古城には、有るかぎりの燭がともされ、原始的な音楽が雲の中に聞えていた。 二夫人を迎えて張飛がなぐさめたのである。「ここから汝南へは、山ひとこえですし、もう大船に乗った気で、ご安心くださるように」 。 ところが、その翌日。望楼に立っていた物見が、 。
北客
「如何なる素姓の者か」と、たずねた。「はっ、或いはなお、ご記憶にありはせぬかと存じますが。――自分はかつて、黄巾賊の乱にもいささか功をたて、一時は鎮威中郎将の栄職にありましたが、その後、思うところあって、故郷汝南に帰っていました。――李通字を文達と申す者であります」 。 旧交はないが、夙に名は聞いている。
十面埋伏
憐れまないで何としよう」 。 一転、兵馬をかえして、都へさして来る途中、たちまち相次いで来る早馬の使いがこう告げた。「いま、汝南にある劉玄徳が、劉辟、龔都などを語らって、数万の勢をあつめ、都の虚をうかがって、にわかに攻め上らんとするかの如く、動向、容易ならぬものが見えまする。」。
古城窟
やむなく裴元紹は手下をまとめて、山寨へひきあげた。 周倉は本望をとげて、山また山の道を、身を粉にして先に立ち、車を推しすすめて行った。 ほどなく、目的の汝南に近い境まで来た。 その日、一行はふと、彼方の嶮しい山の中腹に、一つの古城を見出した。白雲はその望楼や石門をゆるやかにめぐっていた。
呉の情熱
当時、呉下の智能はほとんど一堂に集まったといっていい。 張昭、張絋、周瑜、魯粛などの宿将をはじめとして、 。 彭城の曼才、会稽の徳潤、沛県の敬文、汝南の徳枢、呉郡の休穆、また公紀、烏亭の孔休など。 かの水鏡先生が、孔明と並び称して――伏龍、鳳雛といった――その鳳雛とは、襄陽の龐統のことだが、その龐統も見えている。 そのほか、汝陽の呂蒙とか、呉郡の陸遜とか、瑯琊の徐盛とか――実に人材雲のごとしで、呉の旺なことも、故なきではないと思わせられた。