江北
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「嶺の上か。そこは」 。「頂上よりは下った中腹で、そこへ登りますると、鄱陽湖から揚子江のながれは目の下で、江南江北も一目に見わたされまする」 。「明日、われをそこへ案内せい。自身参って、廟を掃い、いささか心ばかりの祭をいたすであろう」 。
しかも、そのことはまた、忠の根本とも合致するでしょう。どうか、末節の小義にとらわれず、忠孝の大本にかえって下さい。われわれ兄弟の父母の墳は、みな江北にあって江南にはありません。他日、朝廷の逆臣を排し、劉玄徳の君をして、真に漢朝を守り立てしめ、そして兄弟打揃うて故郷の父母の墳を清掃することができたら、人生の至楽はいかばかりでしょう。――よもや世人も、その時は、諸葛の兄弟は伯夷叔斉に対して恥じるものだともいいますまい」 。
主客、席につくと、喨々、得勝楽という軍楽が奏された。周瑜は起って、幕下の人々へむかい、 。「この蒋幹は、自分とは同窓の友で、今日、江北から訪ねてくれたが、決して、曹操の説客ではないから、心おきのないように」 。 と、客を紹介したはいいが、変な云いまわしをして、いよいよ蒋幹の心を寒からしめた。 のみならず、諸大将の中から、太史慈を呼び出して、自分の剣を渡し、 。
ついては、大儀ながら粛兄にも、一緒に来ていただけますまいか」 。「どこへですか」 。「江北の岸へ」 。「何をしに。」 。
」 。 などと孔明の肚を疑って、魯粛はまったく安き思いもしなかった。 その夜の靄は南岸の三江地方だけでなく、江北一帯もまったく深い晦冥につつまれて、陣々の篝火すらおぼろなほどだったから、 。「かかる夜こそは、油断がならぬ。諸陣とも、一倍怠るなよ」 。
一。 このところ魏軍江北の陣地は、士気すこぶる昂らなかった。 うまうまと孔明の計に乗って、十数万のむだ矢を射、大いに敵をして快哉を叫ばせているという甚だ不愉快な事実が、後になって知れ渡って来たからである。「呉には今、孔明があり、周瑜もかくれなき名将。
が、共に打ち解け、胸襟をひらきあい、共に、これで曹丞相という名主のもとに大功を成すことができると歓びあって――。「では、早速、丞相へ宛てて、一書を送っておこう」 。 と、蔡仲、蔡和は、その場で、このことを報告する文を認め、闞沢もまた、べつに書簡をととのえてひそかに部下の一名に持たせ、江北の魏軍へひそかに送り届けた。 闞沢の書簡には、。――わが党の士、甘寧もまた夙に丞相をしたい、周都督にふくむの意あり、黄蓋を謀主とし、近く兵糧軍需の資を、船に移して、江を渡って貴軍に投ぜんとす。