江口
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四方山の話のすえに、周瑜は孫乾にこうたずねた。「ご主君の玄徳や孔明は、目下どこにおられるか」 。「されば、油江口におられます」 。「えっ、油江口に。」 。
一。 一方、孫乾は油江口にある味方の陣に帰ると、すぐ玄徳に、帰りを告げて、 。「いずれ周瑜が自身で答礼に参るといっておりました」と、話した。 玄徳は、孔明と顔見合わせて、 。
魏の夏侯惇は、襄陽から追い落されて、樊城へ引籠った。 彼についてそこへ行かずに、身を転じて、玄徳の勢力に附属して来る者も多かった。 玄徳はまた北岸の要地油江口を公安と改めて、一城を築き、ここに軍需品や金銀を貯えて、北面魏をうかがい、南面呉にそなえた。風を慕って、たちまち、商賈や漁夫の家が市をなし、また四方から賢士剣客の集まって来るもの日をおうて殖えていた。 一方。
――魯粛の使いは、舟行して江を渡った。しかもその使いは、ことさら華やかに装い、従者に麗しい日傘をかざさせて、いかにも悠暢に、会宴の招待にゆく使いらしく櫓音も平和に漕いで行った。 彼はやがて、荊州の江口から城下に入り、謹んで、書を関羽に呈した。書面の内容はもとより魯粛の名文をもって礼を尽し、蜜の如き交情をのべ、どうしても断れないように書いてあった。三。