江西
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孫策は、勇躍して、即日、勢を揃えて出立した。 従う面々には、先の君理、子衡をはじめとして、父の代から仕えて、流浪中も彼のそばを離れずにきた程普、黄蓋、韓当などの頼もしい者もいた。 暦陽(江西省)のあたりまで来ると、彼方から一面の若武者が来て、 。「おっ、孫君」と、馬を下りて呼んだ。 見れば、姿風秀麗、面は美玉のごとく、年頃も孫策と同じくらいな青年だった。
とまれ、孔明の家がらというものは、その叔父だった人といい、また現在呉に仕えている長兄の諸葛瑾といい、彼の妻黄氏の実家といい、当時の名門にちがいなかった。しかも、孔明の誠実と真摯な人格だけは、誰にも認められていたので――彼を帷幕に加えた玄徳は――同時に彼のこの大きな背景と、他方重い信用をも、あわせて味方にしたわけである。 遠大なる「天下三分の計」なるものは、もちろん玄徳と孔明のふたりだけが胸に秘している大策で、当初はおもむろに、こうしてその内容の充実をはかりながら、北支・中支のうごき、また、...
それをどんどん鄱陽湖にあつめ、周瑜が水軍大都督となって、猛演習をつづけている。 孫権自身もまた、それに晏如としてはいなかった。叔父の孫静に呉会を守らせて、鄱陽湖に近い柴桑郡(江西省・九江西南)にまで営をすすめていた。 その頃。 玄徳は新野にあって、すでに孔明を迎え、彼も将来の計にたいして、準備おさおさ怠りない時であった。