沛県
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一夫多妻を伝統の風習としているこの民族の中では、玄徳の室など、至極さびしいほうであった。 甘夫人は、糜夫人より若い。沛県のひとで、そう美人というほどでもない。単に、清楚な婦人である。 美人のおもかげは、むしろ年上の糜夫人のほうに偲ばれる。
当時、呉下の智能はほとんど一堂に集まったといっていい。 張昭、張絋、周瑜、魯粛などの宿将をはじめとして、 。 彭城の曼才、会稽の徳潤、沛県の敬文、汝南の徳枢、呉郡の休穆、また公紀、烏亭の孔休など。 かの水鏡先生が、孔明と並び称して――伏龍、鳳雛といった――その鳳雛とは、襄陽の龐統のことだが、その龐統も見えている。 そのほか、汝陽の呂蒙とか、呉郡の陸遜とか、瑯琊の徐盛とか――実に人材雲のごとしで、呉の旺なことも、故なきではないと思わせられた。