河口
No content available.
No content available.
太守劉焉は、五百人の楽人に勝利の譜を吹奏させ、城門に旗の列を植えて、自身、凱旋軍を出迎えた。 ところへ。 軍馬のやすむいとまもなく、青州の城下(山東省済南の東・黄河口)から早馬が来て、 。「大変です。すぐ援軍のご出馬を乞う」と、ある。
と、ほかの幕将たちは、張飛や関羽をなだめて、評議は、逃げ落ちることに一決した。 大雨の夜だった。 淮陰の河口は大水があふれて、紀霊軍も追撃することはできなかった。その暴風雨の闇にまぎれて、玄徳は、盱眙の陣をひきはらい、広陵の地方へ落ちて行った。 高順の三万騎が、ここへ着いたのは翌る日だった。
一。 呉の国家は、ここ数年のあいだに実に目ざましい躍進をとげていた。 浙江一帯の沿海を持つばかりでなく、揚子江の流域と河口を扼し、気温は高く天産は豊饒で、いわゆる南方系の文化と北方系の文化との飽和によって、宛然たる呉国色をここに劃し、人の気風は軽敏で利に明るく、また進取的であった。 彗星的な風雲児、江東の小覇王孫策は、当年まだ二十七歳でしかないが、建安四年の冬には、廬江を攻略し、また黄祖、劉勲などを平げて恭順を誓わせ、予章の太守もまた彼の下風について降を乞うてくるなど――隆々たる勢いであった...
その者は、街を見て帰ると、すぐ呉夫人の前へ来て語った。「なるほど、大変に賑やかです。河口には十艘の美船が着き、玄徳の随員だの、五百の兵士は、物珍しげに、市中を見物して歩きながら、豚、酒、土産物の種々など、しきりに買物しながら、わが主劉皇叔には、この度、呉侯のお妹姫と婚礼を挙げるのじゃと、彼方此方で自慢半分にしゃべったものですから、ご城下ではもう慶祝気分で寄るとさわるとそのお噂ですよ」 。 呉夫人は、哭き出した。 たちまち彼女は、わが子の呉侯孫権のいる閣へと、顔を袖でおおったまま走って行った。
「或いは南岸の呉軍に、企図するものがあるのかも知れない。朕、親しく大観せん」 。 と云って、旗艦の龍艦を、河口から長江へ出し、船楼に上って江南を見た。 旗艦の上には、龍鳳日月五色の旗をなびかせ、白旄黄鉞の勢威をつらね、その光は眼もくらむばかりであったし、広陵の河沿いから大小の湖には、無数の艨艟が燈火を焚いて、その光焔は満天の星を晦うするばかりだったが、江南呉の沿岸はどこを眺めても、漆のような闇一色であった。 侍側の蒋済がすすめた。