涼州
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「簒逆の賊、これにありしか」と、馳け迫って、 。「漢の天下、内官の弊悪にみだれ、万民みな塗炭の苦しみをうく。しかるに、汝は涼州の一刺史、国家に一寸の功もなく、ただ乱隙をうかがって、野望を遂げんとし、みだりに帝位の廃立を議するなど、身のほど知らずな逆賊というべきである。いでその素頭を刎ねて、巷に梟け、洛陽の民の祭に供せん」 。 と討ってかかった。
郿塢には、郭汜、張済、李傕などの大将が一万余の兵を擁して、留守を護っていたが、 。「董太師には、禁廷において、無残な最期を遂げられた」 。 との飛報を聞くと、愕然、騒ぎだして、都の討手が着かないうちに、総勢、涼州方面へ落ちてしまった。 呂布は、第一番に、郿塢の城中へ乗込んだ。 彼は、何者にも目をくれなかった。
「それを実は、予も、敵国の勃興以上に、憂えているところだ」と、正直に云った。「こうなさい――」荀攸は立ちどころに献策した。「西涼州(甘粛省・陝西奥地一帯)の太守馬騰をお召しになり、彼の擁している匈奴の猛兵や、今日まで無傷に持たれている軍需資源をもって、玄徳を討たせるのです。そしてなお大令を発し給えば、各地の諸侯もこぞって参戦しましょう」 。「そうだ。
いま馬超を語らうことは至極たやすく、しかも馬超ひとりを動かせば、曹操以下三十万の精兵も魏一国に金縛りにしてしまうことができましょう」。二。 西涼州の馬超は、ある夜、ふしぎな夢をみた。「吉夢だろうか。凶夢だろうか」 。
左の手を斬り落された韓遂を西涼侯に封じ、また彼と共に降参した楊秋、侯選なども、列侯に加えて、それには、 。「渭水の口を守れ」と、命じた。 ときに元、涼州の参軍で、楊阜という者、すすんで彼にこう意見をのべた。「馬超の勇は、いにしえの韓信、英布にも劣らないものです。今日、彼を討ち洩らしてのお引揚げは、山火事を消しに行って、また山中に火だねを残して去るようなもので、危険この上もありません」 。
閻圃の説こそ、大計というものである」 。 と云いながら前へ進んで、彼の献策をさらに裏書して、こう大言した。「先ごろ来、西涼の馬超が破れたことから、領内混乱に陥り、西涼州の百姓たちの逃散して、漢中に移り来るもの、すでに数万戸にのぼると聞く。――加うるに、従来、漢川の民、戸数十万に余り、財ゆたかに糧はみち足り、四山谿流、道は嶮岨にして、一夫これを守れば万卒も通るを得ず、と古来からいわれておる。もしこれに蜀を加えて、統治を施し、よく武甲と仁政を以て固め、上に帝王を定むるならば、これこそ千年の基業...
あえて破格でもないが、この人にして何となくその所を得たような観があった。のみならず彼は、その頃ちょうど、雍涼の州郡を守る人がなかったのを知っていたので、自ら表を奉って、 。「わたくしに西涼州郡の守りをお命じください」と、願い出た。 西涼州といえば、北夷の境に近く、都とは比較にならないほどな辺境である。かつては馬騰出で馬超現われ、とかく乱が多くて治めにくいところである。