淮南
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「淮南」登場回数
合計: 59回「淮南」が登場する場面
7件一書十万兵
そのお恨みは、曹操にこそ向けられるべきです。何事につけ廟堂の奸賊は、朝命をもって、みだりに命じ、そむけば違勅の罪を鳴らそうというのであります。わが主玄徳のごときも、まったく心なく淮南の役にさし向けられ、しかも功は問わず、非のみ責める曹操の非道に、遂に、堪忍をやぶって、今日わたくしを遠く使いせしめるに至ったものでございます。何とぞご賢慮をもって、這般のいきさつを深くご洞察ねがわしゅうぞんじます」 。「おそらくそれは真実の言だろう。
于吉仙人
と、ともに血をすすりあい、山野にかくれて、機をうかがっていた。 孫策はよく狩猟にゆく。 淮南の袁術に身を寄せていた少年時代から、狩猟は彼の好きなものの一つだった。 その日も―― 。 彼は、大勢の臣をつれて、丹徒という部落の西から深山にはいって、鹿、猪などを、おっていた。
仲秋荒天
一。「袁術先生、予のてがみを読んで、どんな顔をしたろう」 。 淮南の使いを追い返したあとで、孫策はひとりおかしがっていた。 しかし、また一方、 。「かならず怒り立って、攻め襲うて来るにちがいない」 。
健啖天下一
姉は十四、妹は五ツ。 ふたりとも、呂布の娘である。 十四の姉のほうは、先頃、袁術の息子へ嫁がせるまでになって、一夜、盛大な歓宴をひらき、珠簾の輿にのせて、淮南の道へと見送ったが、にわかに、模様が変ったため、兵を派して輿を途中から連れもどし、そのまま、もとの深窓に封じてしまった、――あの花嫁御寮なのである。 花嫁はまだ小さい。 国と国の政略も知らない。
偽帝の末路
宴へ臨む前に、玄徳は車冑と、べつの一閣に会って、 。「丞相がそれがしに五万の兵を授けられたのは、かねて伝国の玉璽を私し、皇帝の位を僭していた袁術が、兄の袁紹と合体して、伝国の玉璽を河北へ持ちゆかんとしているのを、半途にて討たんがためである。――ついては、急速に、またひそかに、袁術の近況と、淮南の情勢とを、御身も力をあわせて探索してもらいたい」と、協力をもとめた。「承知致しました。――して丞相より軍勢に付けおかれた二人の大将とは、誰と誰とでござるか」 。
兇門脱出
公孫瓚は、逃げるに道なく、自ら妻子を刺して、自身も自害して果てた。「――そういうわけで、袁紹の領土は拡大され、兵馬は増強されつつあります。のみならず、近ごろ彼の弟、淮南の袁術も一時は自ら帝位を冒していましたが、自製皇帝の位も持ちきれなくなり、兄袁紹へ例の伝国の玉璽を贈って、兄に皇帝の名を取らせ、自分は実利をせしめんものと、合体運動を起しております。こう二つのものがまた、合併されるとなると、いよいよ由々しい大勢力と化し、ほかに歯の立つ国はなくなるのではないかと存ぜられます」 。 満寵は報告...
北客
と、指を折って説かれるまでもなく、曹操自身も、 。「自分のほうがはるかに人間は上である」と、充分自信はもっているが、単にそれだけを強味として相手を鵜呑みにしてしまうわけにもゆかなかった。 袁一門の閥族中には、淮南の袁術のような者もいるし、大国だけに賢士を養い、計謀の器、智勇の良臣も少なくない。 それに、何といっても彼は名家の顕門で、いわば国の元老にも擬せられる家柄であるが、曹操は一宮内官の子で、しかもその父は早くから郷土に退き、その子曹操は少年から村の不良児といわれていた者にすぎない。 ...