建艦総力
龍骨の長さ二十余丈、兵二千余人をのせることができる。これを龍艦と呼び、十数隻の進水を終ると、魏の黄初五年秋八月、他の艦艇三千余艘を加えて、さながら「浮かべる長城」のごとく呉へ下った。 水路は長江によらず、蔡・潁から湖北の淮水へ出て、寿春、広陵にいたり、ここに揚子江をさしはさんで呉の水軍と大江上戦を決し、直ちに対岸南徐へ、敵前上陸して、建業へ迫るという作戦の進路を選んだのであった。 一族の曹真は、このときも先鋒に当り、張遼、張郃、文聘、徐晃などの老巧な諸大将がそれを輔佐し、許褚、呂虔などは中軍...
出師の巻
本文
三国志