湖北
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陽城を墜した勢いで、 。「さらに、与党を狩りつくせ」 。 と、朱雋の軍六万は、宛城(湖北省・荊門県附近)へ迫って行った。そこには、黄巾の残党、孫仲・韓忠・趙弘の三賊将がたて籠っていた。七。
三。 黄匪の乱がやんでからまた間もなく、近年各地に蜂起した賊では、漁陽(河北省)を騒がした張挙、張純の謀叛。長沙、江夏(湖北省・麻城県附近)あたりの兵匪の乱などが最も大きなものだった。「天下は泰平です。みな帝威に伏して、何事もありません」 。
人々も皆、 。「もっともな説」と、同意して、国中の兵力をあつめ、それぞれ防備の完璧を期していた。 湖南の水、湖北の岸、揚子江の流域はようやく波さわがしい兆しをあらわした。 さて、ここに。 孫堅方では、その出陣にあたって、閨門の女性やその子達をめぐって、家庭的な一波紋が起っていた。
最後の一策として試みた奇襲も惨敗に帰したばかりか、たのみとしていた干糜、樊能の二将まで目のまえで孫策のために殺されてしまったので、劉繇は、 。「もう駄目だ」と、力を落して、わずかな残兵と共に、荊州へ落ちて行った。 荊州(湖北省・江陵・揚子江流域)には一方の雄たる劉表がなお健在である。 劉繇は始め、秣陵へ退いて、陣容をたて直すつもりだったが、敗戦の上にまた敗北を重ねてしまい、全軍まったく支離滅裂となって、彼自身からして抗戦の気力を失ってしまったので、 。「この上は、劉表へすがろう」とばか...
襄城第一の謀士賈詡は、曹操の使いを迎えて、心中大いに祝しながら、来意を問うと、劉曄は、 。「当今、乱麻の世にあたって、その仁、その勇、その徳、その信、その策、真に漢の高祖のような英傑を求めたなら、わが主君、曹操をおいてはほかにあろうとも思われません。あなたは湖北に隠れなき烱眼洞察の士と聞いていますが、どう思われますか」 。「然り。わたくしの考えも同じである」 。
ひとつの大江に行きあたった。 渡船をさがして対岸へ着き、ここは何処かと土地の名を漁夫に訊くと、 。「漢江(湖北省)でございます」と、いう。 その漁夫が知らせたのであろう、江岸の小さい町や田の家から、 。「劉皇叔様へ――」と、羊の肉や酒や野菜などをたくさん持ってきて献じた。
西門の番兵が、あッとなにか呶鳴ったようだが、飛馬の蹄は、一塵のもとに彼の姿を遠くしてしまった。 鞭も折れよと、馳け跳ぶこと二里余り、道はそこで断たれていた。ただ見る檀渓(湖北省・襄陽の西、漢水の一支流)の偉観が前に横たわっている。断層をなした激流の見渡すかぎりは、白波天にみなぎり奔濤は渓潭を噛み、岸に立つや否、馬いななき衣は颯々の霧に濡れた。 玄徳は馬の平首を叩いて、 。