湖北
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「湖北」登場回数
合計: 28回「湖北」が登場する場面
7件この一戦
よし、さらば立て」 。 帝玄徳は、断乎として、ここに初めて、帷幕から令を降した。 ところへ、南蛮の沙摩柯が、蛮土の猛兵数万をしたがえて参加するし、洞渓の大将杜路、劉寧のふたりも手勢を挙げて加わったので、全軍の戦気すでに呉を呑み、水路の軍船は巫口(四川省・巫山)へ、陸路の軍は秭帰(湖北省・秭帰)あたりまで進出した。 逆まく長江の波、頻々、伝わる上流の戦雲に対し、呉は、 。 ――国難来る。
一帆呉へ下る
と荀彧らにも励まされてか、俄然数万騎を増派して、みずから下知に当り、 。「どこまでも」と、その急追をゆるめないのであった。 ために玄徳は、長坂橋(湖北省・当陽、宜昌の東十里)附近でもさんざんに痛めつけられ、漢江の渡口まで追いつめられてきた頃は、進退まったくきわまって、 。「わが運命もこれまで――」と、観念するしかないような状態に陥っていた。 ところが、ここに一陣の援軍があらわれた。
一掴三城
すると一騎、むらがる城兵の中から躍り出て、 。「来れるは周瑜か。湖北の驍勇曹洪とは我なり。いざ、出で会え」と、名乗りかけて来た。 周瑜は、一笑を与えたのみで、 。
乱兆
三。 黄匪の乱がやんでからまた間もなく、近年各地に蜂起した賊では、漁陽(河北省)を騒がした張挙、張純の謀叛。長沙、江夏(湖北省・麻城県附近)あたりの兵匪の乱などが最も大きなものだった。「天下は泰平です。みな帝威に伏して、何事もありません」 。
亡流
おそらく同士打ちを起しているのでしょう。しかし、入るべからずです。道をかえて江陵(湖北省・沙市、揚子江岸)へ行きましょう」 。「えっ、江陵へ。」 。
冬将軍
五虎の大将軍、すでに逝くもの三人」 。 成都へ彼の棺槨を送るの日、玄徳は曠野に立って灰色の雪空を長く仰いでいた。「かくては」と、玄徳は自ら心を励まし、御林の軍をひきいて、凍る帝旗を、さらに、猇亭(湖北省・宜都の西方)まで進めた。 はからずもこの附近で、呉の韓当軍と会戦した。張苞は韓当の唯一の部下夏恂を打ち破り、関興は周泰の弟周平の首をあげた。
功なき関羽
「ああ。かくも、悲惨な敗北を見ようとは……」と、相顧みて、しばし凋然としてしまった。 この日、夕暮に至って、また行く手の方に、猛気旺な一軍の来るのとぶつかったが、これは死地を設けていた伏勢ではなく、南郡(湖北省・江陵)の城に留守していた曹一族の曹仁が、迎えに来たものであった。 曹仁は、曹操の無事な姿を見ると、うれし泣きに泣いて、 。「赤壁の敗戦を聞き、すぐにも駈けつけんかと思いましたが、南郡の城を空けては、後の守りも不安なので、ただご安泰のみを祈っていました」と、曹操が生きて帰ってくれたこ...