漢口
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「漢口」登場回数
合計: 7回「漢口」が登場する場面
7件一帆呉へ下る
しかし、それをつぶさに語るとなると、自分の口から自分の功を誇るようなものになるので、孔明は、 。「さし当って、次の策こそ肝腎です。夏口(漢口附近)の地は要害で水利の便もありますから、ひとまず彼処の城にお入りあって、曹操の大軍に対し、堅守して時節を待たれ、また劉琦君にも江夏の城へお帰りあって、わが君と首尾相助けながら、共に武具兵船の再軍備にお励みあるが万全の計でしょう」と、まず将来の方針を示した。 劉琦は、同意したが、 。「それよりも、もっと安全なのは、ひとまず玄徳どのを、私の江夏城へお...
五関突破
顧みれば――都を出てから、五ヵ所の関門を突破し、六人の守将を斬っている。 許都を発してからは、踏破してきたその地は。 襄陽(漢口より漢水上流へ二百八十粁) 。 覇陵橋(河南省・許州) 。 東嶺関(河南省許州より洛陽への途中) 。
剣と戟と楯
二。 荊州の領土貸借問題は、両国の国交上、多年にわたる癌であったが、ここにようやく、その全部とまではゆかないが、一部的解決を見ることができた。 そこで、三郡の領土接収が無事にすむと、呉と蜀とは、初めて修交的な関係に入り、呉は、大軍を出して、陸口(漢口上流)附近に屯し、 。「まず、魏の※城を取って、つづいて合淝を攻めん」 。 と、大体の作戦方針をそうきめた。
建業会議
二。 呂蒙の発言は、会議の方針を導くに充分な力があった。なぜならば、彼の守備している任地の陸口(漢口上流)は、魏、蜀、呉三国の利害が交叉している重要な地域だ。彼はその現地防衛司令の重任にあるのみでなく智慮才謀にかけても断然、呉では一流級の人物である。「大策の決った上は、現地のことすべて汝の思慮にまかす。
殺地の客
(後日、またの機会に) 。 と、独りひそかに誓われていたにちがいなかった。 ――こうした南方の情勢一変と、孔明の身辺に一抹の凶雲がまつわって来つつある間に、一方、江夏の玄徳は、そこを劉琦の手勢に守らせて、自身とその直属軍とは、夏口(漢口)の城へ移っていた。 彼は、毎日のように、樊口の丘へ登って、 。「孔明は如何にせしか」と、長江の水に思慕を託し、また仰いでは、 。
烽火台
いくら魏に打ち捷ってもです。――なぜならば呉というものがありますからな。按ずるに、いま陸口(湖北省、漢口の上流)には、呉の呂蒙が大将となって、一軍団を屯させています。これが虚を見て、うしろから荊州へ出動してくると、ちょっと防ぐ術はありません」 。「よく気づいた。
臨江亭会談
しかも軍隊などはほとんどひどい目に遭わされて、生きて帰ってきた兵は三分の一しかなかった。「とても、尋常一様な手段では荊州は還りますまい。私にご一任賜るなら、遠く溯って、陸口(漢口の上流)の塞外、臨江亭に会宴をもうけ、一日、関羽を招いてよく談じ、もしきかなければ、即座に彼を刺し殺してしまいますが……いかがでしょう、お任せ下さいますか」 。 これは魯粛の進言である。 呉中一といっても二と下らない賢臣の言だ。