漢江 三国志 地名 No content available. 「漢江」登場回数 合計: 6回 0 0 1 2 3 0 桃園の巻 3 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 1 孔明の巻 2 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻 「漢江」が登場する場面 4件 一帆呉へ下る と荀彧らにも励まされてか、俄然数万騎を増派して、みずから下知に当り、 。「どこまでも」と、その急追をゆるめないのであった。 ために玄徳は、長坂橋(湖北省・当陽、宜昌の東十里)附近でもさんざんに痛めつけられ、漢江の渡口まで追いつめられてきた頃は、進退まったくきわまって、 。「わが運命もこれまで――」と、観念するしかないような状態に陥っていた。 ところが、ここに一陣の援軍があらわれた。 本文 三国志 赤壁の巻 泥魚 ひとつの大江に行きあたった。 渡船をさがして対岸へ着き、ここは何処かと土地の名を漁夫に訊くと、 。「漢江(湖北省)でございます」と、いう。 その漁夫が知らせたのであろう、江岸の小さい町や田の家から、 。「劉皇叔様へ――」と、羊の肉や酒や野菜などをたくさん持ってきて献じた。 孔明の巻 本文 三国志 溯江 黄祖は、盔も捨て、ついには、馬までおりて、徒歩の雑兵たちの中へまぎれこんで、危うくも、一つの河をわたり、鄧城の内へ逃げ入った。 この一戦に、荊州の軍勢はみだれて、孫堅の旗幟は十方の野を圧した。 孫堅は、ただちに、漢水まで兵をすすめ、一方、船手の軍勢を、漢江に屯させた。 × × × 。「黄祖が大敗しました」 。 群星の巻 本文 三国志 石 黄祖、蔡瑁、蒯良なんどみな一度に城戸をひらいて、どっと寄手のうちへ衝いて行った。 すでに大将を失った江東の兵は戦うも力はなく、打たるる者数知れなかった。 漢江の岸に、兵船をそろえていた船手方の黄蓋は、逃げくずれてきた味方に、大将の不慮の死を知って、大いに憤り、 。「いでや、主君の弔合戦」 。 とばかり、船から兵をあげて、折りから追撃して来た敵の黄祖軍に当り、入り乱れて戦ったが、怒れる黄蓋は、獅子奮迅して、敵将黄祖を、乱軍のなかに生擒って、いささか鬱憤をはらした。 群星の巻 本文 三国志 「漢江」を全て検索