許都と荊州
この国の亡ぶは眼に見えている」と、叫んでやまなかったが、とたんに蔡瑁が抜き払った剣の下に、あわれその首は斬り落されていた。 死屍は市の不浄墳に取り捨てられたが、市人は伝え聞いて、涙を流さぬはなかったという。 襄陽の東四十里、漢陽の荘麗なる墓所に、故劉表の柩は国葬された。蔡氏の閥族は、劉琮を国主として、これから思うままに政をうごかしたが、時まさに未曾有の国難の迫っている折から、果たしてそんな態勢で乗り切れるかどうか、心あるものは危ぶんでいた。 蔡夫人は、劉琮を守護して、軍政の大本営を襄陽城に移...
本文
三国志
赤壁の巻