漢陽
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この国の亡ぶは眼に見えている」と、叫んでやまなかったが、とたんに蔡瑁が抜き払った剣の下に、あわれその首は斬り落されていた。 死屍は市の不浄墳に取り捨てられたが、市人は伝え聞いて、涙を流さぬはなかったという。 襄陽の東四十里、漢陽の荘麗なる墓所に、故劉表の柩は国葬された。蔡氏の閥族は、劉琮を国主として、これから思うままに政をうごかしたが、時まさに未曾有の国難の迫っている折から、果たしてそんな態勢で乗り切れるかどうか、心あるものは危ぶんでいた。 蔡夫人は、劉琮を守護して、軍政の大本営を襄陽城に移...
と命じ、第四の凌統へは、 。「夷陵の境にあって、烏林に火のかかるのを見たら、すぐ喚きかかれ」 。 と、それへも兵三千をあずけ、さらに、董襲へは、漢陽から漢川方面に行動させ、また潘璋へも同様三千人を与えて、漢川方面への突撃を命じた。 こうして、先鋒六隊は、白旗を目じるしとして、早くも打ち立った。――水軍の船手も、それぞれ活溌なうごきを見せていたが、かねてこの一挙に反間の計をほどこさんものと手に唾して待っていた黄蓋は、早速、曹操の方へ、人を派して、 。