熱河
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即ち、彼は王修の乞いを許し、その上、司金中郎将に封じて、上賓の礼を与えた。 幽州(冀東)の方面では、早くも、曹軍の襲来を伝えて、大混乱を起していた。 所詮、かなわぬ敵と怖れて、袁尚はいち早く、遼西(熱河地方)へさして逃げのび、州の別駕、韓珩一族は、城を開いて、曹操に降った。 曹操は、降を容れ、韓珩を鎮北将軍に任じて、さらに、并州面の戦況を案じ、みずから大兵を率いて、楽進、李典などの加勢におもむいた。 袁紹の甥高幹は、并州の壺関(河北省境)を死守して、なお陥ちずにあった。
一。 いまや曹操の勢いは旭日の如きものがあった。 北は、北狄とよぶ蒙古に境し、東は、夷狄と称する熱河の山東方面に隣するまで――旧袁紹治下の全土を完全に把握してしまった。彼らしい新味ある施政と威令とは、沈澱久しかった旧態を一掃して、文化産業の社会面まで、その相貌はまったく革ってきた。 しかも、曹操は、まだ、 。