白河
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李典は、勃然といったが、曹仁にそう疑われてみると、あとに残っているわけにも行かなかった。 やむなく、彼も参加して、総勢二万五千――先の呂曠、呂翔の勢より五倍する兵力をもって、樊城を発した。 まず白河に兵船をそろえ、糧食軍馬をおびただしく積みこんだ。檣頭船尾には幡旗林立して、千櫓いっせいに河流を切りながら、堂々、新野へ向って下江してきた。 戦勝の祝杯をあげているいとまもなく、危急を告げる早馬はひんぴん新野の陣門をたたいた。
「孫乾は西河の岸に舟をそろえて避難民を渡してやるがよい。糜竺はその百姓たちを導いて、樊城へ入れしめよ。また関羽は千余騎をひきいて、白河上流に埋伏して、土嚢を築いて、流れをせき止めにかかれ」 。 孔明は、諸将の顔を見わたしながら、ここでちょっと、ことばを休め、関羽の面にその眸をとどめて云い足した。「――明日の夜三更の頃、白河の下流にあたって、馬のいななきや兵のさけびの、もの騒がしゅう聞えたときは、すなわち曹軍の潰乱なりと思うがよい。
一。 渦まく水、山のような怒濤、そして岸うつ飛沫。この夜、白河の底に、溺れ死んだ人馬の数はどれ程か、その大量なこと、はかり知るべくもない。 堰を切り、流した水なので、水勢は一時的ではあった。しかしなお、余勢の激流は滔々と岸を洗っている。
これに当るはみずから死を求めるのみ。これを避けるは兵家の常道であり、また百年の大志を後に期し給うからである。――とはいえ、白河の激水に、夏侯惇、曹仁の輩を奔流の計にもてあそび、博望の谿間にその先鋒を焼き爛し、わが軍としては、退くも堂々、決して醜い潰走はしていません。――ただ当陽の野においては、みじめなる離散を一時体験しましたが、これとて、新野の百姓老幼数万のものが、君の徳を慕いまいらせ、陸続ついて来たために――一日の行程わずか十里、ついに江陵に入ることができなかった結果です。それもまた主君玄...
「罾口川と申しまする」 。「なお、附近の河は」 。「白河の流れ、襄江の激水、いずれも雨がふると、谷々から落ちてくる水を加えて、もっと水嵩を増してまいります」 。「谷は狭く、うしろは嶮岨だが、ほかに平地は少ないのか」 。「されば、あの山向うは、樊城の搦手で、無双な要害といわれておりますから、人馬も容易には越えられません」 。