白面
白面(はくめん)とは
古語・文語的な表現で、「顔の色が白いこと」「若く血色に乏しいこと」を指す。転じて「未熟な若者」「経験の浅い人物」を表す言葉としても使われる。
意味
・本来の意味:顔が白い、または白粉を塗ったような顔色。
・比喩的意味:年若く未熟な人物。
・否定的に使う場合:「白面書生」=学問はあっても世事に疎い若者、という表現になる。
使い方の例
・「白面の少年ながら大志を抱く」
・「白面書生の議論では乱世は治められぬ」
三国志での文脈
手を叩いて、誰か笑う者があった。公卿たちは、びっくりして、末席を振返った。見るとそこに若年の一朝臣が、独りで杯をあげ、白面に紅潮をみなぎらせて、人々が泣いたり愚痴るのを、さっきからおかしげに眺めていた。 王允は、その無礼をとがめ、 。「誰かと思えば、そちは校尉曹操ではないか。
一。 曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。 年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中紛乱、時局多事の中を、よく失脚もせず、いよいよその地歩を占めて、新旧勢力の大官中に伍し、いつのまにか若年ながら錚々たる朝臣の一員となっているところ、早くも凡物でない圭角は現れていた。 竹裏館の秘密会で、王允もいったとおり、彼の家柄は、元来名門であって、高祖覇業を立てて以...
「如かず国のため、賊を刺し殺して、祖先の恩を報ずべしと、董卓の命を狙ったが、天運いまだ我に非ず――こうして捕われの身となってしまった。なんぞ今さら、悔いることがあろうか」 。 白面細眼、自若としてそういう容子、さすがに名門の血すじを引いているだけに、争いがたい落着きがあった。「…………」 。 黙然――ややしばらくの間、檻車の外にあってその態を見ていた関門兵の隊長は、 。
――君は戦国の奸雄だ。 と、予言されて、むしろ本望なりとかつてみずから祝した驕慢児も、今は、絶体絶命とはなった。 奇才縦横、その熱舌と気魄をもって、白面の一空拳よく十八ヵ国の諸侯をうごかし、ついに、董卓をして洛陽を捨てるのやむなきにまで――その鬼謀は実現を見たが――彼の夢はやはり白面青年の夢でしかなく、はかない現実の末路を遂げてしまうのであろうか。 そう見えた。 彼もまた、そう覚悟した。
陳宮と曹操のあいだなども、その一例といえよう。そもそも、陳宮の今日の運命は、そのむかし、彼が中牟の県令として関門を守っていた時、捕えた曹操を救けたことから発足している。 当時、曹操は、まだ白面の一志士であって、洛陽の中央政府の一小吏に過ぎなかったが、董卓を暗殺しようとして果たさず、都を脱出して、天下に身の置き所もなかったお尋ね者の境遇だった。 それが、今は。 かつての董卓をもしのぐ位置に登って大将軍曹丞相と敬われ、階下にひかれてきた敗将の陳宮を、冷然と見くだしているのであった。
一。 そのむかし、まだ洛陽の一皇宮警吏にすぎなかった頃、曹操という白面の青年から、おれの将来を卜してくれといわれて、 。「おまえは治世の能臣だが、また乱世の奸雄だ」 。 と予言したのは、洛陽の名士許子将という人相観だった。
「君たちは、この曹操を殺したがっておるそうだな。董承の邸にあつまって、だいぶ相談したそうじゃないか」 。 激語になると、曹操は、白面の一書生だった頃の地金が出てくる。また彼はその洛陽時代には、宮門の警吏をしていたので、罪人に対する手ごころは巧みでことのほか峻烈だった。「い、いいえ。