綿竹
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「この雒城から成都までのあいだに、どういう要害があるかね」 。 降参の将がいう。「まず、要害といっては、綿竹関が第一の所でしょう。そのほかは、往来を検める関所の程度で、取るに足りません」 。 そこへ、法正が来た。
玄徳軍と、蜀軍と。 いまや成都は指呼のあいだにある。綿竹関の一線を境として。 ここが陥れば、蜀中はすでに玄徳の掌にあるもの。ここに敗れんか、玄徳の軍は枯葉と散って、空しく征地の鬼と化さねばならぬ。
「以て、それがしの心証としてごらんください」 。 馬超はそれを玄徳に献じた。 こうして、葭萌関の守備も、いまは憂いも除かれたので、玄徳は最初のとおり霍峻と孟達の二将にあとの守りをまかせて、その余の軍勢すべてをひきい、ふたたび綿竹の城へ帰った。 綿竹へ着いた日も、ここは合戦で、蜀の劉晙、馬漢の二将がさかんに攻めている最中だった。 にもかかわらず、留守していた黄忠や趙雲は、常と変らず出迎えに出たのみか、城中には、盛宴を張って、 。
「孟達の反心は歴然。なぜ拱手して見ているか。直ちに上庸、綿竹の兵をあげて、彼の不義を鳴らし、彼の首を討ち取るべし」と、沙汰した。 これは孔明の深謀で、玄徳としては成都の蜀軍を派して、始末するつもりであったが、孔明はそれを上策でないとして、孟達の追討を劉封に命じれば、その軍に勝っても敗れても劉封は成都へ帰ってくるしかないから、その時に処断することが、対外策としても最良の方法であると説いたのであった。 一方、魏へ投降した孟達は、曹丕の前に引かれて、一応、訊問をうけた。