臨江
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「それがし龍湫の渡口を警備しておりますと、上流江夏のほうから、一艘の舟がただよい来って、二十名ほどの江賊が、岸へ上がって参りました」 。 呂蒙はまず、こう順を追って、次のように話したのである。「――すぐ取囲んで、何者ぞと、取糺しましたところ、頭目らしき真っ先の男がいうには――自分ことは、黄祖の手下で、甘寧字を興覇とよぶ者であるが、もと巴郡の臨江に育ち、若年から腕だてを好み、世間のあぶれ者を集めては、その餓鬼大将となって、喧嘩を誇り、伊達を競い、常に強弓、鉞を抱え、鎧を重ね、腰には大剣と鈴を...
しかも軍隊などはほとんどひどい目に遭わされて、生きて帰ってきた兵は三分の一しかなかった。「とても、尋常一様な手段では荊州は還りますまい。私にご一任賜るなら、遠く溯って、陸口(漢口の上流)の塞外、臨江亭に会宴をもうけ、一日、関羽を招いてよく談じ、もしきかなければ、即座に彼を刺し殺してしまいますが……いかがでしょう、お任せ下さいますか」 。 これは魯粛の進言である。 呉中一といっても二と下らない賢臣の言だ。