華容
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ご辺の忠魂は、いささか疑う者はない。けれど、思い出し給え。その以前、御身は曹操に篤う遇せられて、都を去る折、彼の情誼にほだされて、他日かならずこの重恩に報ぜんと、誓ったことがおありであろうが――今、曹操は烏林に敗れ、その退路を華容道にとって、かならず奔亡して来るであろう。ゆえに、ご辺をもって、道に待たしめ、曹操の首を挙げることは、まことに嚢の物を取るようなものだが、ただ孔明の危ぶむところは、今いうた一点にある。ご辺の性情として、かならず、旧恩に動かされ、彼の窮地に同情して、放し免すにちがいな...
曹操は、苦笑を示して、 。「我れ聞く。この華容道とは、近辺に隠れなき難所だということを。――それ故に、わざと、山越えを選ぶのだ」 。「敵の火の手をご覧ありながら、しかもその嶮へ向われようとは、あまりな物好きではありませんか」 。
よろしく軍法に照らして罰せられたい」 。「はて。……では、曹操はついに華容の道へは逃げ落ちて来なかったといわるるか」 。「軍師のご先見にたがわず、華容道へかかっては来ましたが、それがしの無能なるため、討ち洩らしてござる」 。「なに、討ち損じたと……あの赤壁から潰走した敗残困憊の兵でありながら、なお羽将軍の強馬精兵をも近づけぬほど、曹操はよく戦ったと申さるるか」 。
張松は口を曲げて答えた。「聞説。魏の丞相曹操は、むかし濮陽に呂布を攻めて呂布にもてあそばれ、宛城に張繍と戦うて敗走し、また赤壁に周瑜を恐れ、華容に関羽に遭って泣訴して命を助かり、なおなお、近くは渭水潼関の合戦に、髯を切り、戦袍を捨てて辛くも逃げのがれ給いしとか。さるご名誉を持つ幕下の将士とあれば、たとい百万、二百万、挙げて西蜀に攻め来ろうとも、蜀の天嶮、蜀兵の勇、これをことごとく屠るに、なんの手間暇が要りましょうや。丞相もし蜀の山川風光の美もまだ見給わずば、いつでもお遊びにおいでください。