葭萌
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「葭萌」登場回数
合計: 30回「葭萌」が登場する場面
7件上・中・下
一。 葭萌関は四川と陝西の境にあって、ここは今、漢中の張魯軍と、蜀に代って蜀を守る玄徳の軍とが、対峙していた。 攻めるも難、防ぐも難。 両軍は悪戦苦闘のままたがいに譲らず、はや幾月かを過していた。
成都陥落
「以て、それがしの心証としてごらんください」 。 馬超はそれを玄徳に献じた。 こうして、葭萌関の守備も、いまは憂いも除かれたので、玄徳は最初のとおり霍峻と孟達の二将にあとの守りをまかせて、その余の軍勢すべてをひきい、ふたたび綿竹の城へ帰った。 綿竹へ着いた日も、ここは合戦で、蜀の劉晙、馬漢の二将がさかんに攻めている最中だった。 にもかかわらず、留守していた黄忠や趙雲は、常と変らず出迎えに出たのみか、城中には、盛宴を張って、 。
敗将
「三軍は得やすく、一将は求め難し、と古人のことばにもございます。張郃がこの度の罪は、まことに許しがたいものがありましょうけれど、しかし、魏王が前から愛されていた大将でございます。しばらく一命を助けられ、もう一度、ご寛大な心から、五千余騎を彼に与え、葭萌関を攻めさせられたならば、蜀の軍勢は、この重要な関を守り固めるため、ことごとく引返して参るに違いありません。さすれば、漢中はおのずから平安になるでありましょう」 。 郭淮の理をつくした言葉に、曹洪の怒りも幾分かやわらいできた様子だ。
漢中併呑
「馬超はすでにこの国にいないのに、馬超の一族の龐徳だけが、どうしてひとり漢中に残っているのか」 。 人々の中では、いぶかる者もあったが、張魯はもちろん知っていた。 馬超が、蜀の葭萌関へ征くとき、龐徳だけは、病のために、行を共にしなかったのである。その後、病も癒えて、近頃は元気だとも聞いている。「なるほど、彼ならば。
短髪壮士
「呉の孫権が、漢中の張魯へ、謀略の密使をさし向けました。呉は満腔の同情をもって、貴国へ対し、兵力軍需の援助を惜しまぬものであると。――煽てに乗って張魯はたちまち力を得、かねての野望を達せんと、漢中軍をもって葭萌関へ攻めかかりました」 。 玄徳は驚倒せんばかり顔いろを変えた。すぐ龐統をよび、 。
老将の功
一。 郭淮の進言に面目をとどめた張郃は、この一戦にすべての汚名を払拭せんものと、意気も新たに、五千余騎を従えて、葭萌関に馬を進めた。 この関を守るは、蜀の孟達、霍峻の両大将であった。 張郃軍あらためて攻めきたるの報を得て、軍議を開いた。
趙子龍
一。 夏侯淵の首を獲たことは、なんといっても老黄忠が一代の誉れといってよい。 彼はそれを携えて葭萌関にある玄徳にまみえ、さすがに喜悦の色をつつみきれず、 。「ご一見を」と、見参に供えた。 玄徳がその功を称揚してやまないこともいうまでもない。