葭萌
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一。 葭萌関は四川と陝西の境にあって、ここは今、漢中の張魯軍と、蜀に代って蜀を守る玄徳の軍とが、対峙していた。 攻めるも難、防ぐも難。 両軍は悪戦苦闘のままたがいに譲らず、はや幾月かを過していた。
一。 葭萌関を退いた玄徳は、ひとまず涪城の城下に総軍をまとめ、涪水関を固めている高沛、楊懐の二将へ、 。「お聞き及びのとおり、にわかに荊州へ立ち帰ることとなった。明日、関門をまかり通る」 。
「呉の孫権が、漢中の張魯へ、謀略の密使をさし向けました。呉は満腔の同情をもって、貴国へ対し、兵力軍需の援助を惜しまぬものであると。――煽てに乗って張魯はたちまち力を得、かねての野望を達せんと、漢中軍をもって葭萌関へ攻めかかりました」 。 玄徳は驚倒せんばかり顔いろを変えた。すぐ龐統をよび、 。
楊松は、尽力を約して、張魯の法城へのぼった。そしてこの懸案を再度議していると、折から見えた馬超が、 。「それがしに一軍をお貸しあれば、葭萌関を破って、一路蜀に入り、玄徳を伐って、今日の厚恩におむくいして見せん」と、断言した。 馬超が征けば、成功疑いなしと思った。張魯はここに意を決して、一軍を彼にさずけ、楊柏を軍奉行として、ついに援蜀政策を実行に移した。
「以て、それがしの心証としてごらんください」 。 馬超はそれを玄徳に献じた。 こうして、葭萌関の守備も、いまは憂いも除かれたので、玄徳は最初のとおり霍峻と孟達の二将にあとの守りをまかせて、その余の軍勢すべてをひきい、ふたたび綿竹の城へ帰った。 綿竹へ着いた日も、ここは合戦で、蜀の劉晙、馬漢の二将がさかんに攻めている最中だった。 にもかかわらず、留守していた黄忠や趙雲は、常と変らず出迎えに出たのみか、城中には、盛宴を張って、 。
「馬超はすでにこの国にいないのに、馬超の一族の龐徳だけが、どうしてひとり漢中に残っているのか」 。 人々の中では、いぶかる者もあったが、張魯はもちろん知っていた。 馬超が、蜀の葭萌関へ征くとき、龐徳だけは、病のために、行を共にしなかったのである。その後、病も癒えて、近頃は元気だとも聞いている。「なるほど、彼ならば。
「三軍は得やすく、一将は求め難し、と古人のことばにもございます。張郃がこの度の罪は、まことに許しがたいものがありましょうけれど、しかし、魏王が前から愛されていた大将でございます。しばらく一命を助けられ、もう一度、ご寛大な心から、五千余騎を彼に与え、葭萌関を攻めさせられたならば、蜀の軍勢は、この重要な関を守り固めるため、ことごとく引返して参るに違いありません。さすれば、漢中はおのずから平安になるでありましょう」 。 郭淮の理をつくした言葉に、曹洪の怒りも幾分かやわらいできた様子だ。