蜀漢
No content available.
No content available.
「いやいや、帝位を称え給うには非ず。漢中王に即かるる分には、何のさしつかえがありましょう。いま宇内二分して、呉は南に覇をとなえ、魏は北に雄飛し、また君のご威徳によって、西蜀漢中の分野ここに定まるとはいえ、なお前途の大統一を思う同気の輩は、我が君が、あまりに世間の誹りを気にかけて、いわゆる謙譲の美徳のみを唯一の道としておいでになると、ついには君の大器を疑い、三軍の心、ために変ずるの憂いがないとはいえません。天ゆるし、地もすすめる時は、隆々の盛運に乗って、君ご自身、さらに雲階を昇って栄位に進み、...
荊州城の内外には、一夜のうちに彼の麾下なる駿足が集まった。関羽の令が常に厳としてよく守られていることがわかる。関羽は将台に登って、今や樊川の曹仁が、駸々と堺に迫りつつある事態を告げ、出でてこれを迎撃し、さらに敵の牙城樊川を奪り、もって、蜀漢の前衛基地としてこの荊州を万代の泰きにおかねばならないと演説した。 彼の将士は、万雷のような拍手をもってそれに答え、各〻の出陣に歓呼した。 先陣は廖化。
――かならずご宸念をお煩わし遊ばしますな」と、ただただ慰めて、ひとまず退がった。 ところが、ひとり後主劉禅の憂いに止まらず、出師の表によって掲げられた孔明の「北伐の断行」は、俄然、蜀の廟堂に大きな不安を抱かしめた。 なぜならば、この蜀漢の地は、先帝玄徳が領治して以来、余りにもまだ国家としての歴史が若く、かつは連年の軍役に、まだとうてい魏や呉の強大と対立するだけの実力は内に蓄えられていない。 一昨年、南方平定のため、その遠征に費やした資材、人員だけでも、実のところ、内政財務の吏も一時はひそかに...