諸城
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しかも、豊は国法の曲ぐべからざることを説いてゆるさなかったので、天子はかえって彼を憎み、彼の官職をとり上げて、城門の校尉という一警手に左遷してしまった。 それでも、彼はなお、しばしば怪しからぬ大官の罪をただして仮借しなかったため、ついにそういう大官連から排撃されて、やがて免職をいい渡され、ぜひなく郷土に老骨をさげて、一庶民に帰してしまった人だとある。 その祖先の帰郷した地が、瑯琊であったかどうか明瞭でないが――孔明の父、諸葛珪のいた頃は、正しく今の山東省――瑯琊郡の諸城県から陽都(沂水の南)...
その頃、孫堅はすでに、ひた走りに本国へさして逃げ帰っていた。 途中。 袁紹の追討令で、追手の軍に追われたり、諸城の太守に遮められたり、さんざんな憂き目に遭ったが、ついに黄河のほとりまで逃げのびて、一舟を拾い、からくも江東へ逃げ渡った。 舟中の身辺をかえりみると、幕下の将兵わずか数名しかいなかった。けれど、彼のふところには伝国の玉璽がまだ失われずにあった。