貴州
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――遼東鮮卑国(遼寧省)の兵五万が、西平関(甘粛省・西寧)を犯して四川へ進攻して来るもの。 第二路は。――南蛮王(貴州・雲南・ビルマの一部)の孟獲が、約七万をもって益州の南部を席巻して来ようとするもの。 第三路は。――呉の孫権が長江をのぼって峡口から両川へ攻め入るもの。
等としてある。 要するに現今のビルマ、仏印、雲南省境のあたりと想像して大過なかろうかと思う。 孟獲がその蛮都たる中部を離れて、孔明の遠征軍をわざわざ貴州・広西省境あたりから迎えて、悪戦劣戦を重ねたのも、要するに彼が示唆してうごかした蜀境地方の太守や諸洞の蛮将たちに対して、自ら陣頭に立たざるを得なかった情勢に引かれたためで、本来の彼の彼たる実力の発揮は、孟獲も豪語して孔明にいった如く、ここの蛮都三江の要害に拠って戦うこそ彼の本分でもあり望みでもあったことだろう。 今やその孟獲はついに敗れ敗れ...