遼東
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百何歳という中の一翁が、謹んで答えた。「いまから五十年前――まだ桓帝の御宇の頃です。遼東の人で殷馗という予言者が村へきたとき申しました。近頃、乾の空に黄星が見える。あれは五十年の後、この村に稀世の英傑が宿する兆じゃと。
「いま、袁煕、袁尚の兄弟は、遼西の烏丸(熱河地方)におるという。この際、放棄しておいては、後日の禍いになろう。遼西、遼東の地をあわせ定めておかなければ、冀北、冀東の地も永久に治まるまい」 。 彼の壮図のもとに、ふたたび大軍備が命ぜられたが、もとよりこれには曹洪以下、だいぶ異論も多かった。 ここはすでに遠征の地である。
一。 河北の広大をあわせ、遼東や遼西からも貢ぎせられ、王城の府許都の街は、年々の殷賑に拍車をかけて、名実ともに今や中央の府たる偉観と規模の大を具備してきた。 いわゆる華の都である。人目高いその都門へ、赤裸同然な態たらくで逃げ帰ってきた曹仁といい、またわずかな残兵と共にのがれ帰った李典といい、不面目なことはおびただしい。
味方の安危如何はその時かと思われます」 。「曹操がみずから攻めてくるようだったら、それは容易ならぬことになる。北方の袁紹ですら一敗地に滅び、冀北、遼東、遼西まで席巻したあの勢いで南へきたら。」 。「かならず参ります。
と曹操は、もう忘れている。そしてやおら身を起すと、船の舳に立って、江の水に三杯の酒をそそぎ、水神を祭って、剣を撫しながら、諸大将へさらに感慨をもらした。「予や、この一剣をもって、若年、黄巾の賊をやぶり、呂布をころし、袁術を亡ぼし、さらに袁紹を平げて、深く朔北に軍馬をすすめ、ひるがえって遼東を定む。いま天下に縦横し、ここ江南に臨んで強大の呉を一挙に粉砕せんとし、感慨尽きないものがある。ああ大丈夫の志、満腔、歓喜の涙に濡る。
すると曹操は、かぶりを振りながら、 。「夢に故人を見たのだ。――遼東の遠征に陣没した郭嘉が、もし今日生きていたらと思い出したのだ。予も愚痴をいう年齢になったかと思うと、それも悲しい。諸将よ、笑ってくれ」 。
まして今、玄徳亡く、遺孤劉禅をようやく立てたばかりの敵の情勢においてはです」 。「五路とは、いかなる戦法か」 。「まず、遼東へ使いをはせて、鮮卑国王へ金帛を送り、遼西の胡夷勢十万をかり催して、西平関へ進出させること。これ一路であります」 。「うむ。