金城
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「金城」登場回数
合計: 16回「金城」が登場する場面
7件曹操死す
「えっ。先生、それはほんとですか」 。「いま、郷里の家人へ宛ててわしが書簡を書くから、金城のわしの家まで行って、その医書を貰って参るがよい。書簡の内へも書いておくが、それは青嚢の書といって、書庫の奥深くに秘して、今日まで他人に見せたことはないものじゃ」 。 華陀は留守のわが家へ宛てて手紙を書いた。
月落つ麦城
けれどそこは今、地名だけに遺っている前秦時代の古城があるに過ぎない。もちろん久しく人も住まず壁石垣も荒れ崩れている。「時にとって、五百の精霊が一体となって立てこもれば、これでも金城鉄壁といえないことはない」 。 ここへ入って、廖化がそう士気を鼓舞すると、関平もまず自ら気を旺に示して、 。「そうだとも。
梨の木
めずらしく今朝はすこし気分が快いらしく、曹操は、見舞に来た華歆とはなしこんでいた。華歆は、 。「侍医の百計も、験がないと御意遊ばすなら、いま金城に住居すると聞く華陀をお召しになってごらんなさい。華陀は天下の名医です」 。 と、しきりにすすめているのだった。
洛陽に生色還る
司馬師、司馬昭の二子をも励まして、さらに行軍へ拍車をかけ、ほとんど、昼夜もわかたず急ぎに急いだ。 こういう情勢にありながらなお、少しもそれを覚らずにいたのは新城の孟達であった。 金城の太守申儀や、上庸の申耽などに、大事を打ち明けて、 。「不日、孔明に合流せん」と、密盟をむすんでいたその事に安心して、実は申儀も申耽も、腹を合わせて、魏軍が城下へ来たら突如としてそれに内応し、孟達に一泡ふかせてくれん――としているものとは夢にも気づかずにいたのである。「司馬懿は、洛陽へ出ずに、長安へ向うようで...
漢中王に昇る
一。 魏の勢力が、全面的に後退したあとは、当然、玄徳の蜀軍が、この地方を風靡した。 上庸も陥ち、金城も降った。 申耽、申儀などという旧漢中の豪将たちも、 。「いまは誰のために戦わん」といって、みな蜀軍の麾下へ、降人となって出た。
自壊闘争
「あなたは実に天運に恵まれた御方である。たとい袁紹は亡くても、冀北の強大は、普通ならここ二代や三代で亡ぶものではありません。しかし、外には兵革に敗れ、内には賢臣みな誅せられ、あげくの果て、世嗣の位置をめぐって骨肉たがいに干戈をもてあそび、人民は嘆き、兵は怨嗟を放つの有様、天も憎しみ給うか、昨年来、飢餓蝗害の災厄も加わって、いまや昔日の金城湯池も、帯甲百万も、秋風に見舞われて、明日も知れぬ暗雲の下におののき慄えているところです。――ここをおいて、荊州へ入らんなどは、平路を捨てて益なき難路を選ぶ...
虎牢関
「そちは関外に陣取れ」 。 と、三万の精兵を授けた。 この要害に、董卓自ら守りに当って、十二万の兵を鎮し、さらに三万の精兵を前衛に立てて、万夫不当といわれる呂布をその先手に置いたのであるから、まさに金城鉄壁の文字どおりな偉観であった。 かく、十州の通路を断たれて、諸侯が各〻その本国との連絡を脅かされてきたので、寄手の陣には、動揺の兆しがあらわれた。「由々しいこととなった。