鉄桶
鉄桶(てっとう)とは
鉄で作られた桶(おけ)のことを指します。液体や穀物などを入れる容器として使われ、木桶に比べて丈夫で火にも強いのが特徴です。
また比喩的な使い方として「鉄桶のように堅固」という表現があります。軍事や政治の場面で「鉄桶のごとく守り固める」といえば、外部から破られることがないほど強固な布陣や防御を意味します。
急に一方の囲みを破って、錦帯山の方へ奔ったが、そこの谷間へかかると、谷の中からとうとうと金鼓や銅鑼の声がするし、道をかえて、峰へ登りかけると、岩の陰、木の陰から、彪々として、蜀の勇卒が、鼓を打ちつつ攻めてくる。 中に、蜀の大将趙雲がいた。孟獲は胆を消して、渓流を跳び、沢を駈け、さながら美しき猛獣が最期を知るときのように逃げまわったが、すでに四山は蜀兵の鉄桶と化し、遁るべくもない有様であった。 さも残念そうに、独り唸きながら、彼は馬を捨てて渓流のそばへ寄った。そして身をかがめて水を飲もうとする...
関の吏事は、そういって曹操が何と云いのがれようとしても、耳を貸さなかった。「とにかく、役所へ引ッ立てろ」 。 兵は鉄桶の如く、曹操を取り囲んで、吟味所へ拉してしまった。 関門兵の隊長、道尉陳宮は、部下が引っ立ててくる者を見ると、 。「あっ、曹操だ。
さながら怒濤に押されて来る芥のように、味方の軍勢が、どっと、味方の本陣へ逃げくずれて来た。「すわ」 。 とばかり袁紹のまわりには、旗本の面々が、鉄桶の如く集まって、これを守り固めるやら、 。「退くなッ」と、督戦するやら、 。「かかれ、かかれっ」 。
かくて、仕掛けた奇襲は、反対に受け身の不意討ちと化した。隊伍は紛裂し、士気はととのわず、思い思いの敵と駈けあわすうち、敵の東のほうからは張遼の一陣、西のほうからは許褚、南からは于禁、北からは李典。また東南よりは徐晃の騎馬隊、西南よりは楽進の弩弓隊、東北よりは夏侯惇の舞刀隊、西北よりは夏侯淵の飛槍隊など、八面鉄桶の象をなしてその勢無慮十数万――その何十分の一にも足らない張飛、玄徳の小勢をまったく包囲して、 。「一匹も余すな」と、ばかり押しつめてきた。 さしもの張飛も鐙に無念を踏んで、 。
「その計もよからん」と、手筈をいいつけ、さらに、前進して夷陵へ近づいた。 夷陵の城は桶の如く敵勢に囲まれている。誰かその鉄桶の中へ入って、城中の甘寧と聯絡をとる勇士はないか――と周瑜がいうと、 。「それがしが参らん」と、周泰がすすんでこの難役を買って出た。 彼は、陣中第一の駿足を選んでそれにまたがり、一鞭を加えて、敵の包囲圏へ駈けこんで行った。
魯粛は、酒もさめ果て、生きた空もない。耳のそばを、ぶんぶん風が鳴ったと思うと、たちまち、江岸の波打ちぎわが見えた。 ここには呂蒙と甘寧とが、大兵を伏せて、関羽を討ち漏らさじと鉄桶の構えを備えていたのであるが、関羽の右手に、見る眼もくらむばかりな大反の偃月刀が持たれていることと、また片手に魯粛がつかまれているのを見て、 。「待て」 。「迂濶に出るな」 。
そして古城の外をながめた。愕くべし満地の山川ことごとく呉旗呉兵と化している。いわゆる蟻も通さぬ鉄桶の囲いである。しかも隊伍斉々、士気は高く、馬のいななきも旺である。 関羽は顧みて云った。