長安
別名
長安城
を統合して表示・集計しています。
これらの名前でアクセスしても同じページが表示され、登場回数も統合して集計されます。
これらの名前でアクセスしても同じページが表示され、登場回数も統合して集計されます。
No content available.
No content available.
「遺憾ながら、ここは将来の大策に立って、味方の大転機を計らねばなりますまい」 。「大転機とは」 。「ひと思いに、洛陽の地を捨て長安へ都をお遷しになることです」 。「遷都か」 。「さればです。
一。 遷都以後、日を経るに従って、長安の都は、おいおいに王城街の繁華を呈し、秩序も大いにあらたまって来た。 董卓の豪勢なることは、ここへ遷ってからも、相変らずだった。 彼は、天子を擁して、天子の後見をもって任じ、位は諸大臣の上にあった。
「呉の孫堅が討たれた」 。 耳から耳へ。 やがて長安(陝西省・西安)の都へその報は旋風のように聞えてきた。 董卓は、手を打って、 。「わが病の一つは、これで除かれたというものだ。
「神仙の仙女とは、実に、この貂蝉のようなのをいうのだろうな。いま、郿塢城にもあまた佳麗はいるが、貂蝉のようなのはいない。もし貂蝉が一笑したら、長安の粉黛はみな色を消すだろう」 。「太師には、そんなにまで、貂蝉がお気に入りましたか」 。「む……。
一。 董太師、郿塢へ還る。――と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。 呂布は、家にあったが、 。「はてな。
西涼(甘粛省・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。 郿塢の城から敗走した大軍だった。 董卓の旧臣で、その四大将といわれる李傕、張済、郭汜、樊稠などは、連名して、使者を長安に上せ、 。「伏して、赦を乞う」 。 と、恭順を示した。
「近ごろ兗州の曹操は、頻りと賢を招き、士を募って、有能の士には好遇を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。 聞きつたえて、兗州(山東省西南部)へ志してゆく勇士や学者が多かった。 ここ山東の天地はしばらく静かだったが、帝都長安の騒乱は、去年からたびたび聞えて来た。「こんどは、李傕、郭汜などという者が、兵権も政権も左右しているそうだ」 。 とか、 。