長安
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「長安」登場回数
合計: 159回「長安」が登場する場面
7件不倶戴天
と、韓遂は即日やって来て、馬超軍に身を投じた。 西涼の精猛数万、殺到して、ここに、潼関(陝西省)へ攻めかかる。 長安(陝西省・西安)の守将鍾繇は、驚死せんばかりに仰天して、曹操のほうへ、早馬をもって、急を告げる一方、防ぎにかかったが、西涼軍の先鋒馬岱に蹴ちらされて、早くも、長安城へ逃げ籠る。 長安は、いま廃府となっていたが、むかし漢の皇祖が業を定めた王城の地。さすがに、要害と地の利は得ている。
中原を指して
蜀の大軍は、沔陽(陝西省・沔県、漢中の西)まで進んで出た。ここまで来た時、 。「魏は関西の精兵を以て、長安(陝西省・西安)に布陣し、大本営をそこにおいた」 。 という情報が的確になった。 いわゆる天下の嶮、蜀の桟道をこえて、ここまで出てくるだけでも、軍馬は一応疲れる。
二度祁山に出づ
すなわち、陳倉の谷には、魏延の一軍をとどめて、対峙の堅陣を張らせ、また、近き街亭方面の要路には、王平と李恢に命じて、これを固く守らせておいて、孔明自身は、夜ひそかに陳倉を脱し、馬岱、関興、張苞などの大軍をつれて遠く山また山の間道を斜谷を越え、祁山へ出て行ったのである。 一面。――魏の長安大本営では、大都督曹真が、王双からの捷報を聞いて、 。「孔明もその第一歩からつまずくようでは、もう往年のような勢威もないとみゆる。戦の先は見えたぞ」と、歓ぶこと限りなく、営中勝ち色に満ちていた。
二次出師表
そういう精神的な両面戦への気づかいに加えて、先頃の曹休が招いた大敗とは、すくなからずその自信を失墜させていた。「――果たして、孔明はまた襲ってきた。長安の一線を堅守して、国防の完きを保つにはそも、たれを大将としたらよいか」 。 魏帝曹叡は、群臣をあつめて問うた。席には、大将軍曹真もいた。
傾国
「神仙の仙女とは、実に、この貂蝉のようなのをいうのだろうな。いま、郿塢城にもあまた佳麗はいるが、貂蝉のようなのはいない。もし貂蝉が一笑したら、長安の粉黛はみな色を消すだろう」 。「太師には、そんなにまで、貂蝉がお気に入りましたか」 。「む……。
八陣展開
一日、孔明は敵のほうをながめて呟いた。 斜谷から敗退以後、魏の大都督曹真が病に籠るとの風説はかねて伝わっていたが、どうしてその重態がわかりますか――と傍らの者が訊くと、孔明は、 。「軽ければ長安まで帰るはずである。今なお渭水の陣中に留まっているのは、その病、甚だ重く、また士気に影響するところをおそれて、敵味方にそれを秘しているからだろう」と、いった。「自分の考えが適中していれば、おそらく彼は十日のうちに死ぬだろう。
兵学談義
「いま彼らを地方へ潜伏させては」 。 と、禍いの根を刈るつもりで、あくまでも追撃を加えていた。 そして、長安郊外まで来ると、都から荀彧の使いが、早馬に乗って、一書をもたらして来た。「北雲急なりと見て、南江の水しきりに堤をきらんとす。すこしも早く、兵を収めて、許都に還り給わんことを」と、ある。