長江
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「長江」登場回数
合計: 53回「長江」が登場する場面
7件この一戦
帝玄徳は、断乎として、ここに初めて、帷幕から令を降した。 ところへ、南蛮の沙摩柯が、蛮土の猛兵数万をしたがえて参加するし、洞渓の大将杜路、劉寧のふたりも手勢を挙げて加わったので、全軍の戦気すでに呉を呑み、水路の軍船は巫口(四川省・巫山)へ、陸路の軍は秭帰(湖北省・秭帰)あたりまで進出した。 逆まく長江の波、頻々、伝わる上流の戦雲に対し、呉は、 。 ――国難来る。 と、異常な緊迫感に襲われつつも、一方、魏のうごきと睨み合せる心理を多分に持っていた。
休戦
孫権がわずかな将士に守られて、濡須の下流へ落ちて行くと見るや、 。「あれ見失うな」と、自身江岸に沿って、士卒を励まし、数千の射手に、絶好な的を競わせたが、この日の風浪は、この時には孫権の僥倖となって、矢はことごとく黒風白沫にもてあそばれ、ついに彼の身にまでとどく一矢もなかった。 その上、いよいよ広やかな河の合流点まで来ると、本流長江のほうから呉の兵船数百艘がさかのぼって来た。これなん一族の陸遜がひきいて来た十万の味方だった。 孫権は初めて蘇生の思いをなした。
具眼の士
そして、彼に云った。「呉といえど、決して蜀魏の戦局に冷淡なものではない。しかしその時を見、また充分な戦力を養っていたもので、今や機は熟したと思われるゆえ、日を定めて、朕自ら水陸の軍をひきい、討魏の大旆をかかげて長江を溯るであろう」 。 費褘は拝謝して、 。「おそらく魏の滅亡は百日を出でますまい。
冬葉啾々
一、今はその時でない事 。 一、漢中の張魯、蜀の玄徳などの動向の重大性 。 一、呉の新城秣陵の堅固と長江戦の至難 。 一、魏の内政拡充と臨戦態勢の整備 。 等の項目にわたって諫言したので、曹操も思い直して出動を見あわせ、しばらくはなお、内政文治にもっぱら意をそそぐこととした。
凛々細腰の剣
」 。 と、馬煙を立てて追いかけた。 先にゆく夫人の車と玄徳の一行は、長江の岸に沿って急いでいたが、またまた、呼び止める者があるので、騒然一団になって立ち淀んでしまった。 夫人はふたたび車から降りて追手の大将どもを待つ。その姿を目がけ、陳武以下の四将は馬に鞭を加えてこれへ駈けこんで来た。
出廬
四道、交通の要衝にあたり、南方とは、貿易を営むの利もあり、北方からも、よく資源を求め得るし、いわゆる天府の地ともいいましょうか。――加うるに、今、あなたにとって、またとなき僥倖を天が授けているといえる理由は――この荊州の国主劉表が優柔不断で、すでに老病の人たる上に、その子劉琦、劉琮も、凡庸頼むに足りないものばかりです。――益州(四川省)はどうかといえば、要害堅固で、長江の深流、万山のふところには、沃野広く、ここも将来を約されている地方ですが、国主劉璋は、至って時代にくらく、性質もよくありませ...
剣と戟と楯
諸人が、誰かと見ると、それは伊籍であった。「伊籍ならば」と、孔明もうなずいたし、満座もみな彼に嘱した。即ち玄徳の書簡をのせて、伊籍は遠く長江を下った。 呉へ着く前、伊籍は、荊州へ上陸して、ひそかに関羽に会った。もちろん玄徳の内意と孔明の遠謀を語って打合せをすましておくためである。