門戸
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と、牛車の龍駕は安邑まで急いだ。しかしこことて仮御所にふさわしいような家などはない。「一時、ここにでも」と、人々が見つけた所は、土塀らしい址はあるが、門戸もなく、荒草離々と生い茂った中に、朽ち傾いた茅屋があるに過ぎなかった。「まことに、これは朕がいま住む所にふさわしい。見よ、四方は荊棘のみだ。
何せい荊州は戦禍に疲弊している。地理的には東南に孫権、北方に曹操があって、たえず恟々と守備にばかり気をつかわなければならない。ただ一方、門戸のあるのが西蜀であった。しかも張松が置き残して行った図巻を見れば、その国の富強、地理の要害、とうていこの荊州の比ではない。「よう分った。
三 楽県 軒県の楽、堂下ノ楽。昇降必ズ楽ヲ奏ス。四 朱戸 門戸ハ紅門ヲ以テ彩ル。五 納陛 朝陛ヲ登ル自由。六 虎賁 常時門ヲ衛ル軍三百人、虎賁軍トイウ。
その二には、。家室倒ニカカリ。門戸衆多。精ヲ蔵シ、毒ヲ育イ、秋ヲ得テスナワチ化ス。コレ蜂ノ巣ナリ。
陸遜は、これを聞いて、 。「さては、孔明の悪戯か」と、ふたたび馬を打って、坡の上へ馳け上がってみた。 高きにのぼって見渡すと、一見乱立岸々たる石陣にも自ら整々たる布石の相があり、道に従って四方八面に門戸があった。「擬兵、偽陣。これはただ人を惑わす詐術に過ぎない。
蜀の興隆は目に見えるものがあった。孔明はよく幼帝を扶け、内治と国力の充実に心を傾けてきた。両川の民もよくその徳になつき、成都の町は夜も門戸を閉ざさなかった。加うるに、ここ両三年は豊作がつづき、官の工役には皆すすんで働くし、老幼腹を鼓って楽しむというような微笑ましい風景が田園の随処に見られた。 けれどこういう楽土安民のすがたも四隣の情勢に依っては、またたちまち軍国のあわただしさにかえらざるを得ない。