関内
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「私もそう思っていたところです」 。「では、すぐ行け。首尾よく関内に突撃したら、火をつけろ。煙を合図に外からおれが大挙して攻めかけるから」 。「心得ました」 。
見るとそれは呂布が多年戦場で用いていた画桿の大戟だった。「城中の分裂、今はまぎれもなし」 。 と、夏侯惇も、つづいて関内へ駸入し、その余の大将も、続々入城する。 城内はまだ鼎のわくがごとき混乱を呈していた。「呂将軍が捕われた」と伝わったので、城兵の狼狽は無理もなかった。
「予は、荊州を得たことを、さして喜ばんが、いま足下を得たことを衷心からよろこぶ」 。 といって――江陵の太守樊城侯に封じた。 以下、旧重臣の五人を列侯に封じ、また王粲や傅巽を関内侯に封じた。 それから、ようやく、劉琮にむかって、 。「あなたは、青州へ行くがよい。
曹操は感動して、 。「いまの言葉は、真に国へ報じる忠臣の声である」 。 といって、即座に彼の官職をひきあげて、江夏の太守関内侯とした。 そして、まず、玄徳追撃の道案内として、文聘にそれを命じ、以下の大将に鉄騎五千をさずけて、「すぐ行け。」とばかり急きたてた。
そのとき楊阜は、身に数ヵ所の戦傷を負っていたので。 やがて、車が許都へつくと、曹操はその忠義をたたえ、 。「以後、関内侯に封ぜん」と、いった。 楊阜は、かたく辞して、 。「冀城に主を失い、歴城に一族を鬼と化し、なお馬超は生きている今、何の面目あって、身ひとつに栄爵を飾れましょう。
「斜谷の城中から、裏切者が火の手をあげた」 。 という混乱ぶりであった。 だが、魏の陣中からあがった火の手は、裏切りがあってのことではなく、蜀の馬超が、斜谷の嶮をよじ登って、ふいに搦手から関内へ攻めこみ、後方攪乱の策に出た結果だった。 しかし城を出て戦っていた魏軍の狼狽はひと通りでない。「すわ、総くずれだ」と、後方の騒動に前軍も混乱して、まったく統一を失い、収拾もつかぬ有様に、曹操は剣を抜いて味方の上に擬し、 。
副将飛衛将軍 廖化 。右軍領兵使奮威将軍 馬忠 。撫戎将軍関内侯 張嶷 。行中軍師車騎大将軍 劉琰 。中将軍揚武将軍 鄧芝 。