阿斗
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正室の甘夫人が、男児を産んだのである。 お産の暁方には、一羽の鶴が、県衙の屋根にきて、四十余声啼いて西へ翔け去ったという。 また、妊娠中に夫人が、北斗星を呑んだ夢を見たというので、幼名を「阿斗」とつけ、すなわち劉禅阿斗と称した。 時は、建安十二年の春だった。 ちょうどその前後、曹操の遠征は、冀州から遼西にまで及んで、許昌の府は、ほとんど手薄とうかがわれたので、玄徳は再三再四、劉表に向って、 。
そして大矛を小脇に横たえ、西のほうを望んでいた。 ――ところで、噂の趙雲は、どうしたかというに。 彼は襄陽を立つときから、主君の眷属二十余人とその従者や――わけても甘夫人だの、糜夫人だの、また幼主阿斗などの守護をいいつけられていたので、その責任の重大を深く感じていた。 ところが、前夜の合戦と、それからの潰走中に、幼主阿斗、二夫人を始め、足弱な老幼は、あらかた闇に見失ってしまったのである。 趙雲たるもの、何で、そのまま先を急がれよう、彼は、血眼となって、 。
では張飛。ご辺は甘夫人と糜竺を守って、君の御座所まで送りとどけてくれ。それがしは、またすぐここから取って返して、なお糜夫人と阿斗の君をおたずね申してくる」 。 云い残すや否や、趙雲は、ふたたび馬を躍らせて、単騎、敵の中へ駆けて行った。 すると彼方から十人ほどの部下を従えた若い武者が、ゆったりと駒をすすめて来た。
その情熱は非常な自己主義でもあり、盲目的でもあった。さきに関羽へ傾倒して、あとではかなり深刻に後悔の臍を噛んでいるはずなのに、この日また常山の子龍と聞いて、たちまち持ち前の人材蒐集慾をむらむらと起したものであった。 趙雲にとって、また無心の阿斗にとって、これもまた天佑にかさなる天佑だったといえよう。 行く先々の敵の囲みは、まだ分厚いものだったが、趙雲は甲の胸当の下に、三歳の子をかかえながら、悪戦苦闘、次々の線を駆け破って――敵陣の大旆を切り仆すこと二本、敵の大矛を奪うこと三条、名ある大将を斬...
「誰か」と、たずねた。 玄徳が、これはわが家臣、常山の趙子龍と答えると、母公はまた、 。「では、当陽の戦いに、長坂で和子の阿斗を救ったというあの名誉の武将か」と、いった。「そうです」とうなずくと、母公は、彼に酒を賜えとすすめた。趙雲は拝謝して杯をいただきながら、玄徳の耳へ、そっとささやいた。
「周善はどうしたか」 。「途中、江の上で、張飛や趙雲に阻められ、斬殺されました」 。「なぜ、そなたは、阿斗を抱いてこなかったのだ」 。「その阿斗も、奪り上げられてしまったのです……それよりは、母君のご病気はどうなんです。すぐ母君へ会わせて下さい」 。